まどかマギカの代表的なBGM「さやかのテーマ」が使われているのは、テレビシリーズでは灯台の魔女戦とさやか魔女化の場面。アレンジは、オルゴールアレンジが恭介がらみの、バイオリンお渡し会、恭介登校、仁美告白の場面と、なぜかほむら転入の場面。
劇場版でオリジナルの「さやかのテーマ」が使われるのは、土手での会話、仁美告白、まどか契約の場面。オルゴールアレンジはお渡し会のみに。仁美告白がオルゴールアレンジからオリジナルになり、恭介登校は別の曲になった。劇場版のみのコーラスアレンジが、灯台の魔女戦とさやか魔女化の場面で使われ、テレビシリーズのオリジナルの位置を占める。
劇場版では「さやかのテーマ」は作品の中心的な価値観であるウソと後悔を暗示しており、きわめて重要な場面で使われる。
ぱっと見ではあまり重要ではなさそうな、さやかとまどかの土手の会話の場面では、逆光でさやかの顔に影が入っており後ろめたさを感じさせる。後でわかるとおり彼女は魔女が怖くて、本当は魔法少女になったことを後悔しているのだが、まどかにウソをついている。この作品ではウソをつくと苦しむことになっていて、雨のバス停の場面にもまどかとの会話があるが、そこでのさやかはとても苦しそうだ。
テレビシリーズではもっと明るいBGMで、さやかがウソをついているようには見えない。
劇場版ののぞき見の場面では、アレンジがオルゴールからノーマルに戻された。AMラジオのようなフィルターがかかっているが、使い魔に八つ当たりする手前あたりで元に戻る。この頃のさやかは「魔女を殺す、ただそれだけしか意味のない、石ころ」だったので、恭介に告白などしようもないのだが、仁美には「恭介は腐れ縁」などとウソをついたし、魔法少女になった、あるいは恭介に先に告白しなかった後悔もあるだろう。
「さやかのテーマ」が使われていることから、ここは作品中でも最も重要な場面なのだろう。ここで描かれているものは自明ではない。ウソをついて後悔はしても、さやかは仁美がフラれることを願ってはいない。魔法少女は他人の不幸は望まないのだ。
テレビシリーズでは「しあわせを祈る」「呪う」も一般論でしかないため、仁美を妬み告白が失敗することを望んでいるように感じられる。魔法で邪魔しないのは正義の味方だから。
劇場版のまどかの契約場面では、魔法少女にならずさやかを救えなかった後悔と、助けるフリをして地獄に落とすほむらにつくウソ。まどかは魔法少女ではないので、ほむらの不幸を望む。BGMは土手の会話の場面を連想させ、まどかがさやかのことを考えていることがわかる。またテレビシリーズのさやかの魔女化の場面を連想させ、さやかの魔女化とまどかの魔法少女化を対比させる。まどかの「わたしの祈り」「わたしの願い」がどういうものかがその対比から見て取れる。すなわちそれはさやかの幸せを祈ることと、ほむらを呪うこと。
ここはテレビシリーズは同じ映像だがBGMはさやかとは無関係な全く別の曲になっている。
灯台の魔女戦とさやかの魔女化は劇場版ではコーラスアレンジになっているが、それ以外はテレビシリーズと同じ。映像もほぼ同じ。いずれも魔女に関係する場面。「さやかのテーマ」はテレビシリーズではさやか個人の悲劇の曲だったが、劇場版では使われ方がまったく変わり、ずっと重要な役割を果たすようになった。
さやか魔女化の場面のこの口元は自嘲的な笑みで、目を隠し視線の重要さを演出するのも定番。杏子の「ただ一つだけ…」でも目を隠していた。
さやか「たしかにあたしは何人か救いもしたけどさ、だけどそのぶん、心には恨みや妬みがたまって」
さやか「いちばん大切な友だちさえ傷つけて」
この部分はテレビシリーズと劇場版で意味が違っていて、前者は「恨みや妬みで友だちを傷つけることを望むようになってしまった」、後者は「恨みや妬みで自分がコントロールできなくなり、望みに反して友だちを傷つけてしまった」という意味。これはそれぞれの版の主題である正義感(を失うこと)と、ウソと後悔に対応している。
さやか「誰かのしあわせを祈ったぶん、他の誰かを呪わずにはいられない」
さやか「あたしたち魔法少女って、そういう仕組みだったんだね」
テレビシリーズでは実は「誰かのしあわせを祈ったぶん」にまどかや仁美や恭介を具体的に当てはめると、「他の誰かを呪わずにはいられない」が首尾一貫しない。なぜなら三人とも助けて三人とも呪ったから。したがってこの魔法少女の仕組みは一般論でしかない。劇場版と違い、さやかはウソつきではない正義漢なので自業自得もなりたたない。まどかはこの一般論に基づき、具体的にはわからないが誰かを呪って魔女になっている。
劇場版では「呪わずにはいられない」他の誰かとは自分のこと。さやかは三人それぞれにウソをつき、それがまわって自分が苦んだだけだ。魔法少女は他人の不幸を願わない(見殺しにすることはあるが)。さやかの正義感が形を変えて現れている。実際、他人の不幸を望んだのはまどかただひとりで、彼女は魔法少女ではなかった。
相手の目を見て言っている以上、単なる自嘲ではなく、それ以上に何か訴えているものがある。
劇場版のさやかは後悔だけはしたくなかったが、実際はウソと後悔の連続の一生だった。「あ↓た↓し↓って↓、ほんとバカ」は「ほんとバカ」に重きがあり、最後は杏子に本当のこと(ほんとバカ)を言えたうれしさと、少しだけ救われた感じ。
テレビシリーズでは「あ↑た↑し↑って↑、ほんとバカ」と「あたしって」に重きがあり、後悔をしないためつっぱってきたが、最後に後悔して杏子に謝った印象。劇場版とは正反対になっている。こちらは翻弄されただけでバカというのはかわいそうだし。
さやかの魔法による自作自演のバイオリンお渡し会はどちらの版もオルゴールアレンジ。劇場版はかなり暗いイメージになった。願いごとで治すのに、足より先に手が治るというのもおかしな話だと思っていたが、
恭介の手足を潰して自分のものにしろと言う杏子にさやかは怒りを見せるが、劇場版では目に動きがあり、図星を突かれて動揺しているように見える。二つ合わせて「さやかは恭介の見舞いに行きたかったので足をすぐには治さなかったが、足より先に手が治ったとウソをついた」ようだ。いいクズです。
恭介の登校場面は、テレビシリーズ版のみオルゴールアレンジが使われている。テレビシリーズではオルゴールは恭介のテーマといった感じ。ここは劇場版では映像もBGMも大幅に変えられており、オルゴールアレンジが使われているのはお渡し会のみになった。画像はテレビシリーズ。
「さやかのテーマ」の元ネタのグリースリーブスは実は男が女にふられる話で
Alas, my love, you do me wrong,
To cast me off discourteously.
For I have loved you so long,
Delighting in your company.
Chorus:
Greensleeves was all my joy
Greensleeves was my delight,
Greensleeves was my heart of gold,
And who but my lady greensleeves.
ああ、私の愛した人は何て残酷な人、
私の愛を非情にも投げ捨ててしまった。
私は長い間あなたを愛していた、
側にいるだけで幸せだった。
グリーンスリーヴスは私の喜びだった、
グリーンスリーヴスは私の楽しみだった、
グリーンスリーヴスは私の魂だった、
あなた以外に誰がいるだろうか。
さやかだけでなくほむらにもよくあてはまるので、やはりまどマギを代表するBGMにふさわしい。
チャプター選択画面は悲壮感あふれるさやかのテーマコーラスアレンジをBGMに、本編から切り出したカットをつないだダイジェスト風だが、最後は
こういうオチです。本編の恭介のオーディションの場面とはコマの順番が逆になっている。涙を流して感動しているさやかがおかしい。