わたし達の中に 生命があふれてる

犬好きで重なる勇気は最強なんだから

スティーヴンソン「ジキル博士とハイド氏」

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こいつはジキルより大柄みたい

本作はナボコフ「文学講義」の題材の一つですが、やっぱりトリックがありました。薄字は青空文庫佐々木直次郎訳です。

Will Hyde die upon the scaffold? or will he find courage to release himself at the last moment?

ハイドは処刑台上で死ぬのだろうか。それとも最後の瞬間になって逃れるだけの勇気があるだろうか?

ハイドは死刑台で息絶えるのだろうか?それとも最後に彼自身を解放する勇気を見つけるのだろうか?

 「彼自身を開放する」というのは、ハイドが消え去り自分の体を明け渡すことです。

God knows; I am careless; this is my true hour of death,

それは神さまだけがご存じである。私はどちらでもかまわない。これが私の臨終の時なのだ。

それは神のみが知り、わたしにはどうでもいいことだ。その瞬間がわたしが本当に死ぬときであり

 「その瞬間」というのはハイドが自分の体を明け渡したときのことです。

and what is to follow concerns another than myself.

そしてこれから先におこることは私以外の者に関することなのだ。

あとに現れるそいつはわたしではないのだ。

what is to followは、そのときに現れる人格です。ハイドは消えたし、ジキルはそれは自分ではないと言っているので、第三の人格ということになります。

Here then, as I lay down the pen and proceed to seal up my confession, I bring the life of that unhappy Henry Jekyll to an end.

ここで私がペンをおいてこの告白を封緘しようとするとき、私はあの不幸なヘンリー・ジーキルの生涯を終わらせるのである。

ここにおいてペンを置き告白の封印にうつることで、そいつの命が尽きるまで、不幸なヘンリー・ジキルを捧げることとする。

I bring (the life of that) (unhappy Henry Jekyll) to an endと解釈しています。 

 

この四か所で一つのトリックになっています。 すべてを解決しないとトリックを解いたことにはなりませんが、逆にいえば、一か所に気がつけば芋づる式に手がかりが見つかります。

 

「文学講義」の解説では

There are really three personalities--Jekyll, Hyde, and a third, the Jekyll residue when Hyde takes over

実は三人の人物が存在しているのだ--ジキルとハイドと、それからハイドが引き受けるジキルの残留物が。

実は三つの人格が存在している--ジキル、ハイド、三つ目はハイドが乗っ取ったあとのジキルの残りカスが。

これもナボコフのトリックですね。たしかにtake overには「引き受ける」という意味はあるけど、ハイドが引き受けちゃったらハイドの一部分でしかなくて、ジキルの残留物にはなりません。

 

「そいつ」ジキルの残留物は、ナボコフによるとジキルの純粋な善の部分らしいです。変身後もジキルの一部が残っていることのあらわれが、大柄なジキルに対してハイドが小柄なことだそうです。美少女♡は結末しか見ていないのでわかりません。このあと、この部屋でハイドの姿の自殺死体が見つかります。