ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「ビームしておくれ、ふるさとへ」の主人公ホービーは地球人ではなく本当にエンタープライズの乗組員だったのです。それは以下の手がかりからわかるのです。
HOBIE’S PARENTS MIGHT have seen the first signs if they had been watching about 8:30 on Friday nights. But Hobie was the youngest of five active bright-normal kids. Who was to notice one more uproar around the TV?
A couple of years later Hobie’s Friday-night battles shifted to 10 p.m. and then his sisters got their own set.
宇宙大作戦の第一シーズンは1966年の木曜日の午後8時30分から、第二シーズンは1967年の金曜日の午後8時30分から、第三シーズンは1968年の金曜日の午後10時から始まるのです。1975年までのベトナム戦争でパイロットをするには1953年には生まれていなければならず、このときはすくなくとも13歳なのです。ボンクラなガキではあるまいし、チャンネル争いする歳ではないのです。だからこれは宇宙大作戦とは関係ないのです。
Like the night when Hobie called so fiercely for Dr. McCoy that a young intern named McCoy went in and joked for half an hour with the feverish boy in his dark room.
幼いホービーがDr.マッコイを呼ぶのです。宇宙大作戦を見ている歳ではないので、たまたま名前が一致したのでなければホービーが乗っていたエンタープライズのDr.マッコイなのです。
Do you?” Hobie asked politely.
Morehouse frowned at himself and belched disarmingly.
“Sometimes I wonder who I am,” he smiled.
“Do you?” inquired Hobie.
“Don’t you?”
“No,” said Hobie.
ホービーは実はエンタープライズの乗組員で、地球に調査に来ているのです。記憶も消されていないのです。だからこう思うのはあたりまえなのです。
“Beam us up, Scotty!” he howled at Sirius, laughing, coughing—coughing to death, as the torches faltered—
スコッティを呼ぶのです。このusはホービーとマッコイのことなのです。題名もそうなのです。伊藤典夫氏はガン無視くれてまったく訳していないのです。
It was not the bridge of the Enterprise.
エンタープライズのブリッジではなく転送室なのです。
There were no view-screens, only a View.
Viewは固有名詞であり、ホービーが知っているものなのです。
And Lieutenant Uhura would have had trouble with the freeform flashing objects suspended in front of what appeared to be a girl wearing spots.
伊藤訳
ウーラ中尉でも、あのきらめく物体群には途方に暮れるのではないか。いろんな形のきらめく物体が宙に浮かび、その前には、あちこちにぶちのある若い女と見える者がすわっている。
これは転送装置から女の子が出てくる描写なのです。伊藤氏は冠詞と時制を勝手に変えた上、転送装置だと理解できなかったから「すわっている」と適当に訳したのです。〇ビ訳
そしてウーラ中尉は、ぶちのある女の子になりつつあるものの前にさがっている、あの形のないキラキラに苦労してきたに違いない
は意味が明確なのです。
Somebody who was not Bones McCoy was doing something to Hobie’s stomach. Hobie got up a hand and touched the man’s gleaming back. Under the mesh it was firm and warm. The man looked up, grinned; Hobie looked back at the captain.
スポックなのです。知らない艦の艦長がわかるわけがないから、ホービーが知っている人なのです。カークなのです。
“Do not have fear,” a voice was saying. It seemed to be coming out of a globe by the captain’s console. “We will tell you where you are.”
こちらはスールーなのです。これでレギュラーメンバーが全員揃ったのです。
“I know where I am,” Hobie whispered. He drew a deep, sobbing breath.
“I’m HOME!” he yelled. Then he passed out.
ホービーはエンタープライズに戻ったことを知っているのです。そうでなければ、Beam us upと言ったのだから、We're HOME!でなければおかしいのです。勝手知ったるエンタープライズだからIなのです。HOMEはひっかけなのです。
この小説はティプトリーの読者だましで、ホービーがエンタープライズの乗組員で、そのことを自覚している以上、描写の大半は無意味なのです。よほどの物好き以外は読まなくていいのです。「ホービーが地球人だと考えてもいいじゃないか」という人は「創造的誤読」などと言うバカとおなじで、パロディという自覚がないまま結局は小説を好き勝手に変えているのです。
伊藤氏の語学力であればどんな小説の描写も理解できるのです。理解できないのは描写のほうがおかしいからなのです。日本語訳だけを読む大半の人はそういう事情がわからなくなるのです。訳でもわかるホービーの歳に気づいた人もいないのです。読者だましの存在を知らないと疑わないのです。ティプトリーはだまし以外には興味のない作家だがほっとけばいいが、他の作家はそうはいかないのです。