わたし達の中に 生命があふれてる

犬好きで重なる勇気は最強なんだから

テッド・チャン『商人と錬金術師の門』はアラーが男色を許す話なのです

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赤字青字はテキストの引用、下線は〇ビが理解したことなのです。

バシャラートはにっこりしました。「偶然も故意も、一枚のつづれ織りの裏と表ですよ、お客さま。両方眺めてみて、どちらか片方をより好ましいと思うことはあるかもしれませんが、片方が真実で、もう片方が偽りだということはできません」

相変わらず、あなたの言葉には考えさせられます

 「相変わらず、あなたの言葉には考えさせられます」なのだから、バシャラートのことばは読者もよく考える必要があるのです。「偶然も故意も、一枚のつづれ織りの裏と表」というのは、つまりこの世界には純然たる偶然は存在しないということなのです。

 

自分がしてしまったことをある識者(ムッラー)に打ち明けました。悔悛と償いが過去を消し去ると教えてくれたのはそのムッラーです。わたしはかぎりの方法で悔い改め、贖罪をしてきました。

 ムッラーは20年前のバグダッドに戻ってきた自分自身なのです。なぜなら純然たる偶然は存在しないからなのです。フワード・イブン・アッバスが20年前の自分に「悔悛と償いが過去を消し去る」と教え、彼がカイロの<門>をくぐるよう仕向けたのです。

 

わたしは驚きました。「つまり、未来は定まっていると?過去と同じく、変えることができないということですか?」

悔悛と償いが過去を消し去るといわれております」

それは聞いたことがある。しかしいままで、それが真実だと思ったことは一度もありません」

「それはあいにくなことですな」とバシャラートはいいました。「わたくしに申し上げられるのは、未来もまたそれと同じであるということですから」

それは聞いたことがある」のは前述の20年後の自分からなのです。「悔悛と償いが過去を消し去る」「未来もまたそれと同じ」なのだから、「悔悛と償いは未来も消し去る」のです。

 

この物語をバシャラートが語り終えたあと、わたしはじっと考えにふけっていました。やがて店主が口を開き、「この物語は、ほかの物語にもまして、お客さまのこころをとらえたようですな」といいました。

「なにもかもお見通しですね」とわたしは認めました。「この話が示しているのは、つまり、たとえ過去を変えることができなくても、過去を訪ねて思いがけない事実に出会うことはありうるということでしょう」

「たしかに。未来と過去がおなじものだと申し上げた理由が、これでおわかりいただけましたかな。どちらも変えることはできませんが、どちらももっとよく知ることはできます」

「わかります。あなたのお話がわたしの目を開いてくれました。<歳月の門>を使わせていただきたいと思います。お代はいかほどでしょう。

20年前に戻り、夫となる若い男を盗賊から助け、彼の最初の女となり手ほどきしたラニヤの物語なのです。それを聞いたフワード・イブン・アッバスは、自分もおなじことをしようと考えたのです。

 

バシャラートの息子は自分の時代にもどり、バシャラートとわたしは話をしました。わたしは彼に、今日が何月何日なのかを訊ね、礼拝堂の自己までに平安の都へ帰り着く時間がじゅうぶんにあることを確認してから、もどったらすべてを話すと約束しました。若いバシャラートは、年長の彼と同じく寛大でした。「おもどりになりましたら、また話ができることを楽しみにしております。それにまた、二十年後にお手伝いさせていただくことを」

二十年後にお手伝い」は、バシャラートがバグダッドに<門>を設置し、フワード・イブン・アッバスがはじめて<門>を知ったとき、20年老いたほうの彼を手伝うということなのです。

 

夜の帳が降り、外出禁止時間になってからも汚い服で通りをうろついているわたしを巡回の衛兵が見とがめ、誰何しました。名前とすんでいた場所を告げると、衛兵はわたしをそこに連行し、近所の住人にわたしを知っているかと訊ねましたが、知っていると答えた者はひとりもいなかったので、わたしは投獄されました。

悔悛と償いが過去を消し去る」は自分を知るものを失ってしまうことなのです。

 

「二十年ほどたてば、<門>の左、こちらの側から中に入れるようになりますから、お客さまが自分の過去を訪ねることが可能になります。あるいは」と、バシャラートはわたしを、はじめて見せてくれた側に導き、「いま右側から入って、わたしたち自身のほうから彼らのもとを訪ねることもできます。しかし、この<門>を使って、あなたの若い時代を訪ねることは永遠に不可能です。

バシャラートが言うには、フワード・イブン・アッバスはバグダッドの<門>をくぐるのです。それは彼がもといた20年未来の世界にしかつながっていないのです。つまり、バグダッドに<門>が作られたとき、彼はカイロの<門>をくぐり20年前の世界に行くため出発し、20年老いた彼はバグダッドの<門>をくぐり、自分がもといた世界へ戻るのです。バグダッドにはそれから20年間、彼は不在で、20年後に<門>から出現するのです。しかし、20年前に行方不明になったフワード・イブン・アッバスが、失踪当時の姿のままあらわれても、だれも彼を知らないし、20年後の自分は死んでいるのです。「悔悛と償いは未来も消し去る」とはこのことだったのです。

 

Now my tale has caught up to my life, coiled as they both are, and the direction they take next is for Your Majesty to decide. I know many things that will happen here in Baghdad over the next twenty years, but nothing about what awaits me now. I have no money for the journey back to Cairo and the Gate of Years there, yet I count myself fortunate beyond measure, for I was given the opportunity to revisit my past mistakes, and I have learned what remedies Allah allows. I would be honored to relate everything I know of the future, if Your Magesty sees fit to ask, but for myself, the most precious knowledge I possess is this:

Nothing erases the past. There is repenteance, there is atonement, and there is forgiveness. That is all, but that is enough.

さて、物語が人生に追いつきました。そのどちらもぐるぐるととぐろを巻いておりますし、それらがこれからどちらの方向に進むのかは教主さまの御心のままでございます。わたしはこれからの二十年間にこのバグダッドで起こる多くのことを存じておりますが、わたし自身をどんな運命が待っているかはなにひとつ存じません。カイロにある<歳月の門>までの旅をまかなう路銀もありません。それでもわたしは、自分がはかりしれないほど幸運だったと思います。自分の過去のあやまちを再訪し、どのような癒やしであればアラーがお許しになるかを学ぶ機会が与えられたのですから。もし教主さまがお訊ねになるのでしたら、未来についてわたしの知るすべてをお話しさせていただく所存ですが、しかしわたし自身にとりましては、もっとも貴重な知識は、以下以下のようなものです。

なにをもってしても過去を消すことはかないません。そこには悔悛があり、償いがあり、赦しがあります。ただそれだけです。けれども、それだけでじゅうぶんなのです。

20年後、バグダッドに<門>が作られると、若いフワード・イブン・アッバスはカイロ経由で20年前のバグダッドに戻ってしまうのです。なので「なにをもってしても過去を消すことはかないません」の「過去」とは、妻のナジャが死んでからの20年間のことなのです。なぜならその期間のバグダッドには若い彼がおり、おたがい知っているからなのです。フワード・イブン・アッバスは自分の過去と未来を引き換えに、この期間を手に入れたのです。そのあいだ、老いた彼は若い彼を導くのです。そしてそこでは、彼がすることと、彼がしてもらったことと、アラーがお許しになったことは完璧に一致するのです。青字を普通に訳するとこうなるのです。

それでもわたしは、自分ははかりしれないほど幸運だと思います。自分の過去の数々のあやまちを再訪する機会が与えられて、どのような癒やしであればアラーがお許しになるかを学ぶことができたのですから。

my past mistakesと複数形なのです。だからこれはナジャをなじったことではないのです。ここは20年前のバグダッドだから、「自分の過去の数々の過ちを再訪する」のはこれからですが、「学ぶことができた」はhave learnedと完了形でもう終わったことなのです。つまり「機会が与えられwas givenたこと自体から「学ぶことができた」のです。大森訳ではダメなのです。

さて、フワード・イブン・アッバスに<門>をくぐらせたのは「20年前に戻り、夫となる若い男を盗賊から助け、彼の最初の女となり手ほどきしたラニヤの物語」なのです。純然たる偶然は存在しないのです。フワード・イブン・アッバスも若い自分を手ほどきしたのです。これがアラーの許しなのです。

この二十年、高潔な人間として暮らし、祈りを捧げ、断食し、運に恵まれない人々に施し、聖地に巡礼しましたが、それでもなお、わたしは罪の意識につきまとわれています。アラーは慈悲の心に満ちていますから、すべてはわたし自身のせいです。

若い彼も自分が相手だと知っていたのです。純然たる偶然は存在しないのです。

 

牧眞司氏の書評

巻頭を飾る「商人と錬金術師の門」は、二十年間隔の過去と未来を結ぶ〈歳月の門〉をめぐる時間SF。アラビアンナイトの風情がある枠物語の趣向で、バグダッドとカイロにあるふたつの〈門〉と、みっつの逸話が精妙にリンクしている。チャンは時間移行が引きおこす再帰的因果の結び目を描きながら、読者を思索の深みへと導く。時間を遡っても運命は変えられない。人間に可能なのは、自分が生きた/生きゆく意味を捉え直すことだけである。しかし、そこから得られた悔悛、償い、赦しだけでじゅうぶんなのだ。

考えさせられ思索の深みに達した〇ビはわかったのです。『ヒーリングっど♥プリキュア』が今年始まったのは、キュアグレースが〇ビを癒すためなのです。純然たる偶然は存在しないのです。f:id:ChaldeaGecko:20200229021446p:plain

…………ふぅ、生きてるって感じ~「お大事に」