プリキュア・イターナルサンライズ!

プリキュアは2023年に車椅子の巨乳科学者・虹ヶ丘ひろみ/キュアヘリオと三体合体巨大ロボ「イターナルV」が登場し、2024年は火星が舞台のロボット刑事ものになるのです。

テッド・チャン「人類科学の進化」も宗教ネタだった!

他人と脳が直接つながっている統合思念体みたいなメタヒューマンが誕生したのです。彼らの科学には人間はまったく太刀打ちできないのです。その状況で人間の科学はどうなっていくのかを考察したショートショートなのです。短編集「あなたの人生の物語」収録分ではネタを楽しめないので全訳したのです。引用はコメント、赤字は訳の間違えた部分、青字はハヤカワ文庫の古沢嘉通訳なのです。

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The Evolution of Human Science

人間の科学の進化

この小説は メタヒューマンを神になぞらえているので、humanは人間なのです。「人類科学の進化」はよろしくないのです。

 

It has been twenty-five years since a report of original research was last submitted to our editors for publication, making this a appropriate time to revisit the question that was so widely debated then: What is the role of human scientests in an age when the frontiers of scientific inquiry have moved beyond the comprehension of humans?

オリジナルな研究の報告が最後に、出版のためわれわれ編集者に投稿されてから25年たった。そろそろ、あのときあれほど広く議論されたあの疑問に戻ってみてもいいだろう。すなわち、科学の探究の最前線が人間の理解を越えたところに行ってしまった時代における、人間の科学者の役割とはなにか?

 

No doubt many of our subscribers remember reading papers whose authors were the first individuals ever to obtain the results they described. But as metahumans began to dominate experimental research, they increasingly made their findings available only via DNT(digital neural transfer), leaving journals to publish second-hand accounts translated into human language. Without DNT humans could not fully grasp prior developments nor effectively utilize the new tools needed to conduct research, while metahumans continued to improve DNT and rely on it even more. Journals for human audiences were reduced to vehicles of popularization, and poor ones at that, as even the most brilliant humans found themselves puzzled by translations of the latest findings.

間違いなくわれわれの読者の多くは、著者はそこに書いてある結果を最初に得た人物だという論文を読んでいたことを覚えているだろう。しかしメタヒューマンが実験的研究を支配し始めると、彼らは自分たちの発見を徐々にDNT(デジタル神経転送)経由でしか提供しなくなり、学術誌は人間の言語に翻訳されたお古の記事を載せざるを得なくなった。DNTのない人間は今までの達成を完全に理解することも、研究に必要な新しいツールを効率的に使うこともできなくなったが、メタヒューマンはDNTを改良し続け、ますますそれに依存するようになった。人間の読者向けの学術誌は通俗記事ばかりを載せるまでに落ちぶれ、読者はかわいそうに、聡明な人間はなおかわいそうに、最新の発見の翻訳を読んで困惑せざるをえなかった。

人間が神の言葉を理解できなくなりつつあるのです。先史時代なのです。

「人類読者向けの学術誌は、通俗化の容器に堕し、しかもそのなかでもおそまつなしろものになった。きわめて聡明な人類であっても、最新の研究成果の翻訳をまえにして、まごつくのがおちだからだ。」

poor onesというのはかわいそうな読者のことなのです。科学者がネイチャーで怪しげな通俗翻訳記事を読まされて「…」となっているのです。

 

No one denies the many benefits of metahuman science, but one of its costs to human researchers was the realization that they would likely never make an original contribution to science again.Some left the field altogether, but those who stayed shifted their attention away from original research and toward hermeneutics: interpreting the scientific work of metahumans.

 メタヒューマン科学の多大なる恩恵は誰も否定できないが、かわりに人間の科学者が払った犠牲には、彼らが科学に再びオリジナルな貢献ができる見込みがまずないことを見せつけられたことがある。一部の科学者は完全にこの分野から去ったが、残る人々は注目をオリジナルな研究から解釈学へと移してしまった -- メタヒューマン科学の業績を解釈するのだ。

古代かな?解釈学の誕生なのです。

 

Textual hermeneutics became popular first, since there were already terabytes of metahuman publications whose translations, while criptic, were presumably not entirely inaccurate. Deciphering these texts bears little resemblance to the task performed by traditional paleographers, but progress continues: recent experiments have validated the Humphries decipherment of decade-old publications on histocompatibility genetics.

文献の解釈学がまず広まった。なぜならメタヒューマンが公表したものが、謎めいているがまるきりの間違いではなさそうな翻訳がされ、すでに何テラバイトもあったからだ。これらの文献を解読して得られるものは、伝統的な古文書学者の仕事によるものとはほとんど似ていないが、とにかく進展は続く -- 最近の実験により、組織適合性の遺伝学における10年前の業績の、ハンフリーズによる解読が正しいものだとわかった。

これは聖書の解釈学をなぞらえているのです。中世なのです。

超人類の刊行物がすでに数テラバイト分は優にあるからである。その翻訳は、わかりにくいところはあるものの、かならずしもまったく不正確なものではないはずだった。

人類のことばに翻訳した結果がテラバイト単位なのです。超人類の公表分はそれっぽっちのわけがないのです。

伝統的な古文書研究者がおこなっている仕事とは似ても似つかぬものだが

解読の結果が似ても似つかないということなのです。やっていることはそんなにかわらないのです(だから文献学といっているのです)。伝統的な古文書学者の結果とは違う例として遺伝学の解読を挙げているのです。古沢氏がこの小説のネタを理解していないのは明らかなのです。 

 

The availability of devices based on metahuman science gave rise to artifact hermeneutics. Scientists began attempting to 'reverse engineer' these artifacts, their goal being not to manufacture competing products, but simply to understand the physical principles underlying their operation. The most common technique is the crystallographic analysis of nanoware appliances, which frequently provides with new insights into mechanosynthesis.

 メタヒューマン科学を用いた器機が使えるようになり、人工物の解釈学が興った。科学者はこれらの人工物を"リバースエンジニアリング"し始めた。彼らの目標はそれらと競い合える製品を量産することではなく、単にそれらの動作の根底にある物理的な原理を理解することだった。もっとも一般的な技術はナノウェアを用いた器具による結晶学的な解析で、それはしばしば新しい見識をメカノ化学合成にもたらしている。

聖遺物などもartifactといいますが、ここではメタヒューマンが作ったものなのです。メタヒューマンは神をなぞらえているから、artifactは創造物のことを指しているのです。artifactは人工物だから、おもしろみがあるのです。創造物の解釈学、すなわち科学の誕生なのです。ナノウェアなんとかは、人間の肉眼のことなのです。

 

The newest and by far the most speculative mode of inquiry is remote sensing of metahuman research facilities. A recent target of investigation is the ExaCollider recently installed beneath the Gobi Desert, whose puzzling neutrino signature has been the subject of much controversy. (The portable neutrino detector is, of course, another metahuman artifact whose operating principles remain elusive.)

 最新かつ従来よりはるかに野心的な探究のやりかたはメタヒューマンの研究施設のリモートセンシング。最近の調査対象に近年ゴビ砂漠の地下に設置されたエクサコライダーがあり、その困惑させるニュートリノの固有パターンが大きな論争の的になっている。(使用したポータブルニュートリノ検出器もむろんメタヒューマンの、動作原理もよくわからないままの別の人工物だ)

こちらは望遠鏡のことなのです。speculativeを「野心的」としましたが、「観る」と掛けてあります。ガリレオなどの近代科学の誕生なのです。望遠鏡の原理は当然まだわかっていないのです。ここが物語世界の科学の現在地点なのです。つまり、「人間の科学の進化」といいながら、始まったばっかりということなのです。

最新かつこれまでのところもっとも投機性の高い探求は、超人類研究機関の遠隔探査だった

時制を勝手に変えてはいけないのです。

 

The question is, are these worthwhile undertakings for scientists? Some call them a waste of time, likening them to a Native American research effort into bronzo smelting when steel tools of European manufacture are ready available. This comparison might be more apt if humans were in competition with metahumans, but in today's economy of abundance there is no evidence of such competition. In fact, it is important to recognize that -- unlike most previous low-technology cultures confronted with high-technology one -- humans are in no danger of assimilation or extinction.

 こういったことは科学者にとってやりがいのあることか?という疑問がわく。一部の人は時間のムダだといい、大量生産されたヨーロッパ製の鉄製の道具がもう手に入る時代だというのに、ネイティブアメリカンが青銅を溶かすことに研究努力を注ぐことにたとえる。この比較は人間がメタヒューマンと競合しているならより適切かもしれないが、今日の豊かな経済においてはそのような競合があるという証拠は見られない。はっきり言えば、次のような認識が大事だ -- 前技術文明が技術文明に遭遇したほとんどの場合と違い、人間は同化や絶滅の危機にはない。

ルネサンス?人間が増長してきたのです。

 

There is still no way to augment a human brain into metahuman one; the Sugimoto gene therapy must be performed before the embryo begins neurogenesis in order for a brain to be compatible with DNT. This lack of assimilation mechanism means that human parents of a metahuman child face a difficult choice: to allow their child DNT interaction with metahuman culture, and watch their child grow incomprehensible to them; or else restrict access to DNT during the child's formative years, which to metahuman is deprivation like that suffered by Kasper Hauser. It is not surprising that the percentage of human parents choosing the Sugimoto gene therapy for their children has dropped almost to zero in recent years.

人間の脳をメタヒューマンの脳まで強化する方法はいまだ見つかっていない。脳をDNT互換にするためのスギモト遺伝子療法は、胎芽が神経発生を始める前に行わなければならない。人間をメタヒューマンに同化させるメカニズムの欠如は、メタヒューマンの子を持つ人間の親に難しい選択を迫ることを意味する -- 子にメタヒューマン文明とDNTインタラクションをさせ、子が彼らには理解不能に育つのを見ている。または、子の人格形成時期にDNTへのアクセスを制限する。これはメタヒューマンにとってはカスパー・ハウザーが被ったような人権剥奪だ。スギモト遺伝子療法を子に受けさせる人間の親の割合が近年にはほとんどゼロにまでなったことは驚くべきことではない。

これは判断力がつく前の幼い子供を入信させる話なのです。理解不能に育つのです

スギモト遺伝子療法は、胚芽がDNTと互換性のある脳になるための神経組織を発生させるまえにおこなう必要がある

古沢訳のスギモト遺伝子療法の説明は間違いとはいいきれないが、なんのための療法なのかよくわからないのです。

カスパー・ハウザーというのは座敷牢に幽閉されて育った子供で、特殊な五感を持っていたが、科学の天才じゃないのです。

 

As a result, human culture is likely to survive well into the future, and the scientific tradition is a vital part of that culture. Hermeneutics is a legitimate method of scientific inquiry and increases the body of human knowledge  just as original research did. Moreover, human researchers may discern applications overlooked by metahumans, whose advantages tend to make them unaware of our concerns. For example, imagine if research offered hope of a different intelligence-enhancing therapy, one that would allow individuals to gradually 'upgrade' their minds to a metahuman-equivalent level. Such a therapy would offer a bridge across what has become the greatest cultural divide in our species' history, yet it might not even occur to metahumans to explore it; that possibility alone justifies the continuation of human research.

 つまり、人間の文明は将来にわたって生き残るだろうし、科学の伝統はその文明の不可欠な位置を占める。オリジナルな研究と同様、解釈学は科学の探究の合理的な方法であり、人間の知識の体系を豊かにする。さらに、人間の研究者はメタヒューマンが見逃した科学の用途を見出すかもしれない。彼らは優位にあるためわれわれの関心事を見逃しがちだ。たとえば、他の知性強化療法、ひとりひとりが知性をメタヒューマンと同水準まで段階的に'アップグレード'できるようなものの希望を科学研究がもたらせるかもしれない。このような療法は、われわれ人類史上の最大の文明的分離を橋渡しできるかもしれないが、やはりメタヒューマンはそのようなことを考えもしないかもしれない。その可能性だけでも人間が研究を続ける理由となる。

人間はやがて神と比肩すると言っているのです。バチ当たりなのです。神と和解せよ?検索してもネコの話しか出てこないのでわからないのです。

ここの"our species"はhumanとmetahumanをあわせて人類(種)といっているのです

 

We need not be intimidated by the accomplishments of metahuman science. We should always remember that the technologies that made metahumans possible were originally invented by humans, and they were no smarter than we.

われわれはメタヒューマン科学の成果に気おされる必要はない。メタヒューマンを可能にしたテクノロジーはもともと人間が発明したこと、そして彼らがわれわれより賢いなどとはありえないことを、われわれは何時たりとも忘れるべきではない。

they were no smarter than weは「彼ら(=メタヒューマンを生み出した技術を発明した人間)はわれわれよりずっと愚かだ」という強い意味なのです。自分たちは進歩しているつもりだからそう思うのです。

彼らの知性はわれわれと同程度であることをつねに認識しておくべきなのである。

古沢氏はtheyを超人類ととらえて高校生レベルの訳をしたが、超人類の知性が「われわれと同程度」なわけがないのです。彼ら、つまりネイチャーでこの小説を読んでいる科学者は「われわれよりずっと愚か」だという意味なのです。ここがオチなのです。古沢訳はかなり残念なのです。

 

この小説はまさしく、「人間の科学の進化」をなぞっているのです。近世レベルのようですが、自信満々なのです。この小説はネイチャー誌掲載で、テッド・チャンはやりたい放題なのです。