イエスに倣い、はっきり言っておくのです。

まんが『この世界の片隅に』は水原哲は呉で戦っていたのです

まんが『この世界の片隅に』白木リン編

 

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上巻2-3ページ

水原のいない広島はすずの「片隅」

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上巻36ページ

海軍兵学校にいた水原の兄が訓練中に海に落ちて死亡し、その49日。

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上巻38ページ

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上巻39ページ

水原は乱暴もの。たぶんこの時点で水原はすずがスキ。

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上巻43ページ

海に写生に来た水原だが、描かない。すずは乱暴者の水原から逃げようとしたが

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母親に水原に親切にしろと言われていたので、発達障害のすずはその通りにした。

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上巻44ページ

すずが右手を出して、水原が鉛筆を渡す。手と手が触れあっている。ここですずは水原に恋をした。鉛筆や筆はお〇ん〇んの隠喩なのです。

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すずはスキンシップに弱い。

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上巻48-49ページ

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上巻2-3ページ

おなじ構図だが、カラー見開きには水原がいない。つばきはすずの恋の象徴のようだ。

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上巻50ページ

風呂を焚きながらぼーっとしているすず。水原に恋した。手が触れあったからだろう。

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上巻59ページ

大根の葉がトリにつながっている。結婚を申し込んできたのはどういう人か、考えていたら

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上巻60ページ

水原に出会った。すずは結婚を申し込んできたのは水原だと思った。

 

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これは「結婚を申し込んできたのは水原だった」という喜びだったのだが

水原:お前の母ちゃんが たまげて大声で電話しよったせいで

水原:皆 知っとるわ

と言ったので

すず:へっ…

と、ぬか喜びになった。

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上巻61ページ

水原:…相手 知り合いじゃないんか

すず:全然

これは 、すずは相手を全然名前も知らないという意味。

この場面は

 

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ここで繰り返される。すずの向いている方向と持ち物(海苔と、火のついたままのランプ)が違う。

 

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上巻63ページ

発達障害のすずは、「いやなら断ってもよい」を「いやでなければ断ってはいけない」と受け取った。水原と結婚したいので周作(というか、知らん人)とは結婚したくないのだが、「いやかどうかもわからん人」だったので断れなかった。すずのツバキの晴れ着は水原への恋心の象徴。周作ではない(周作への想いを先取りする多義性は否定できないが、一般にわかりにくいほうが重要です)。

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これと比べると、相手がいるべき左半分がない。

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上巻99ページ

すみちゃんが海軍の機密に触れてしもうた。あとですみちゃんが「ねえすずちゃん 広島に帰っておいでや」と言う。

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上巻110-111ページ

日本の、男の船なのです。

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上巻133ページ

すずは文官はタイプではないのです。

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中巻32ページ

自分の嫁を譲る男はいない。

 

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中巻76ページ

1944年(昭和19年)2月27日、シンガポールを出撃する[20]。3月上旬、第十六戦隊旗艦青葉(同戦隊司令官左近允尚正少将)は、指揮下の重巡洋艦利根(艦長黛治夫大佐)、重巡筑摩(艦長則満宰次大佐)と共にインド洋で通商破壊作戦に従事した。この時、利根が撃沈したイギリスの商船ビハール号の捕虜処刑問題を巡ってビハール号事件が発生した。3月15日、ジャカルタに入港してサ一号作戦部隊は解散した[20]。 4月23日、触雷して沈没した駆逐艦天霧の救助作業に従事した[20]。24日、タラカンに入港して天霧乗組員を揚陸した[20]

詳細は「渾作戦」を参照

6月上旬、青葉は十六戦隊旗艦として渾作戦に参加する[20]。軽巡鬼怒や第27駆逐隊(時雨五月雨)等と行動を共にした。 7月25日、リンガ泊地に進出[20]。以後、訓練に従事する[20]。 10月中旬以降の捷号作戦レイテ沖海戦)では当初、日本軍第一遊撃部隊(通称栗田艦隊)に所属していたが、第二遊撃部隊に編成替えとなり、第十六戦隊旗艦として後方での兵員輸送を命じられた。10月21日、リンガ泊地を出港する[20]10月23日、青葉はルソン島西方でアメリカの潜水艦ブリーム (USS Bream, SS-243) の雷撃で大破した[208]。右舷前部機械室への魚雷命中により右に13度傾斜した。この状態で鬼怒に曳航され、マニラ湾に入港する。その翌日にもアメリカ軍の空母艦載機による攻撃を受けた[20]。同地での応急修理により5ノットの航行が可能となり、レイテ沖海戦で損傷していた重巡熊野と共に本土回航を命じられた。 11月6日、重巡2隻(青葉、熊野)及びマタ31船団はサンタクルーズを出港するが同日午前中に熊野がアメリカ潜水艦の雷撃で大破され、青葉は熊野に対して『われ曳航能力なし』と伝達し、熊野を残置して内地へ向かった。11月25日、熊野はサンタクルーズ湾でアメリカ軍機動部隊艦載機の攻撃を受けて撃沈された。12月12日、青葉はかろうじて呉軍港に帰投した[54][20]

12月12に青葉が呉に帰投して水原が入湯上陸した。青葉と水原はそれからずっと呉にいた。 翌1945年は

3月にアメリカ軍空母機動部隊による攻撃が開始されると青葉も防空砲台として対空戦闘を行った[20]。 4月20日、第四予備艦に指定[210]。 6月20日、特殊警備艦に指定されたが[20][211]、7月24日に命中弾1至近弾1、7月28日に命中弾4を受けて艦尾はほぼ切断状態となり、右舷に傾斜して着底した(呉軍港空襲)[212]

対空砲台となった。水原はこの回以降、出番はないが、ずっと呉にいた。

すずが右手を水原のおでこにあてる。普通の大人はそんなことしないが、好きな女にしてもらえるとうれしい。

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中巻77ページ

水原はここで晴美をかわいがる。これが最後の

晴美さんがちいさく宿っていた

になる。

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中巻80ページ

文官の周作は引け目を感じているのかもしれないが、だからといって嫁にセックスさせたりする男はいない。だまし。

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中巻81ページ

「水原はいつ死ぬかわからないから、ゆっくり話をしろ」という意味。 発達障害のすずがこれを「セックスしてこい」と受け取ることはできないし、嫉妬深い周作にそんなつもりはない。

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中巻82ページ

周作と水原の会話をすずは知らないので、話をしたら母屋に戻るつもりだった。周作はもっとゆっくり話をさせるつもりだった。

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中巻83ページ

12月末の夜の納屋は寒い。暖房はなく行火だけだから超寒い。 

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中巻84ページ

サギは水原の兄の象徴なので、羽ペンは水原と彼の兄の両方を象徴する。

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中巻85ページ

白いサギにはダイサギ、チュウダイサギ、チュウサギ、コサギといる。大きさ以外に見分ける方法はないらしい。

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すずは「うちはずっとこういう日を待ちよった気がする…」と言っているが

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上巻58ページ

18年12月時点ではセックスのことは知らなかった。この直後に

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上巻58ページ

水原と再会する。なので「ずっと」の起点を18年12月以前とすると、「こういう日」は「セックスする日」ではありえず「水原といちゃつく日」と考えるしかない。また「気がする」のだから「待ちよった」ではなくなって時間が経っている。水原が北条宅に泊まったのは19年12月だから、周作と結婚(19年2月)してから10カ月経っており、その間に水原のことは忘れてしまったのだろう。「ずっと」は鉛筆をもらった時(13年2月)から周作と結婚するまでの間だろう。話は13年2月からいきなり18年12月に飛び、この5年10カ月の間はまったく描写がないが、水原と再会したすずが顔を赤らめているから好意を持ち続けていたことはわかる。最終回は21年1月だから周作と夫婦でいた期間は2年でしかない。

すずは「子供ができないからといって、こんな寒いところに閉じ込めて、女の体を冷やす気か」と周作にハラを立てている。女をもっと大事に扱えということ。リンドウの茶碗がすずの不妊を、行火が部屋が寒いことを示唆している。

アニメでは軍艦の戦闘と、海に落ちた軍帽のカットが入る。リンドウの茶碗も行火も映らない。すずのアクションが大きい。

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中巻87ページ

すずは「たのしく話をしているのに、自分は猛烈にハラを立てていてごめん」と言っている。水原は、周作を好きなので自分とはセックスしない、と解釈した。

アニメでは「すず お前はほんまに普通の人じゃ」のあとくらいに

水原:ほんまに連れて帰らんでええんか

水原:無理に嫁にされて、困っとったんちゃうんか

 が入る。

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中巻88ページ
  • 海軍兵学校に入るのは、当たり前の理想
  • 海軍志願兵になったのも、当たり前のユメ
  • 軍人が命を懸けて戦うのも、当たり前のつとめ
  • すずがここで家を守るのも、当たり前の営み
  • 水原が青葉で国を守るのも、当たり前の営み

これが、普通でまとも。ユメには二つの意味があり、兄とおなじく軍人になって国を守るという夢と、すずを守るという夢。守る戦争と男女の役割の肯定がある。とくに前者は四回もあげ、女を守ることと国を守ることはおなじだと言っている。

アニメは

水原:うちが貧乏じゃったけえ、兄ちゃんはタダで行ける海軍兵学校 入った

水原:兄ちゃんが死んだけえ、わしゃ海軍入った

水原:ぜんぶ当たり前のことじゃのに

水原:わしゃどこで、人間の当たり前から外されたんじゃろうかなあ

水原:じゃけえ ここで普通で居るすずをみて安心した

水原:わしゃ英霊呼ばわれは勘弁じゃけえ

水原:わしを思い出すなら 笑うて思い出してくれ

水原:おまえだけは、最後までこの世界で普通で、まともで居ってくれ

あきらかに「守る戦争と男女の役割の肯定」を避けている。この作品は戦中戦後が舞台だが、現代のイデオロギーには都合が悪く、童貞が改造した。

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中巻89ページ

いちばん大事な

それが出来んようなら忘れてくれ

はアニメにはない。英霊はまったくの無関係ではないが、だまし。筆やペンはお〇ん〇んの隠喩なので、「それが出来んようなら」=「自分とセックスできないようなら」という意味だとわかります。

すずは結局「哲さん」とは呼べなかった。ことばなら書けた。当然アニメにこの場面はない。

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中巻90ページ

すずは右手で水原に手帳を渡し、左手を添えて、最後は両手で水原の右手を包みこんだ。

すず:難しいわ

すず:口に出すんも

すず:顔に出すんも

美人声優の握手会みたいに手を包み込んで気持ちを伝えた。

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この場面とはことなり、すずは水原を向き、火のついたランプを後ろ手に隠している。すずは水原に会って恋心に火がついた

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すずはこのとき水原に恋したことを考えると、ずばり恋心を伝えたのである。

まんがで6コマも使った手帳を渡す場面は、アニメではポイと渡し、非常に小さく映している。セリフも変えられている。「難しいわ~」は削られ

すず:ほんまに…

すず:小まい頃から あんたには

すず:肝心なことを言えん癖がついとんじゃもん

 こうなった。童貞はあきらかに場面の理解を間違えている。

 

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中巻106ページ

すずは「子供が出来ないからといって、女の体を冷やしていいのか」と言い、嫉妬深い周作が難癖つけているだけ

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下巻64ページ

防空壕に避難するところ。

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下巻65ページ

防空頭巾を捨てた。

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下巻66ページ

すずは逃げない。嫉妬で苦しいから撃たれてもいいと思っている。

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下巻67ページ

すずが機銃に撃たれそうになったが、かばんに入っていた大事なもの、羽ペン、ノート、テルの口紅がすずを守ってくれた。このまんがは、生者は死者(会えなくなった人)を覚えていて、死者は生者を守るというのがテーマになている。ここでの羽ペンは水原というより彼の兄の象徴で、すずは写生のときに水原に話を聞いて覚えていた。サギがすずを危険に誘導しているように見えるが、彼女を周作と引き合わせている。「男は女を守る」もテーマになっている。

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下巻68ページ

意地の悪い女が「ちなみに」とつけたが、水原もすずを守って戦っているという大事な記述。すずが広島に行きたがるのも嫉妬で苦しいから。筆やペンはお〇ん〇んの…早い話が、周作が意外とたくましかったのでそっちに傾きました。

 

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下巻123ページ

刈谷:ええんよ…

刈谷:北條さんは知らんかね 

ツバキの晴れ着を交換したのだから、水原を吹っ切った。次ページ以降で着底した青葉を見ているのは水原。

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下巻124-125ページ

刈谷:八月に隣保館の横で兵隊さんが行き倒れとったんじゃが

刈谷:どうも四月に陸軍にとられて広島へ行ったうちの息子じゃったらしい

刈谷:あの子の友達から九月に貰うた手紙でようやっとわかった

刈谷:自分の息子じゃと気づかんかったようちは

すず:……………………

刈谷:あんたも目の前で晴美さんを…

刈谷:さぞや無念じゃったろうね

すず:………………はい

すず:なんでうちが生き残ったんかわからんし

すず:晴美さんを思うて泣く資格はうちにはない気がします

すず:でもけっきょくうちの居場所はここなんですよね

 

すず

すず

この世界で普通で

まともで居ってくれ

わしを笑うて思い出してくれ

それが出来んようなら忘れてくれ 

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下巻126-127ページ

すず:生きとろうが死んどろうが

すず:もう会えん人が居ってものがあって

すず:うちしか持っとらん それの記憶がある

すず:うちはその記憶の器として この世界に在り続けるしかないんですよね

 

あっち見てってええ?

何のフネが居りんさるんかね

青葉よ

居ったのは青葉よ 晴美さん

 

哲さん

 

いまあなたの笑顔の端に

波を切る青葉が宿っていた

 

うさぎの跳ねる海が

さぎの渡る空が宿っていた

 

わたしがちいさく

晴美さんがちいさく宿っていた

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下巻128ページ

すず:晴美さんとは一緒に笑うた記憶しかない

すず:じゃけえ 笑うたびに思い出します

すず:たぶんずっと 何十年経っても

 

わたしのこの世界で出会ったすべては

わたしの笑うまなじりに

涙する鼻の奥に

寄せる眉間に

ふり仰ぐ頸に 宿っている

 

刈谷:うんうんほんまよ…

刈谷:だいいち泣いてばっかりじゃ勿体ないわい

二人:塩分がね

 

北條家:あーー!!やっぱり塩味はええねー

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前述の通り、青葉はレイテ沖海戦におけるブリームの雷撃で大破しており呉で本格的修理を行う予定であったが、あまりにも大きすぎる損傷のために修理の見込みが立たず呉工廠近くに繋留放置されていた[54][20]。 1945年(昭和20年)2月下旬、第1予備艦に指定される[209]。 3月にアメリカ軍空母機動部隊による攻撃が開始されると青葉も防空砲台として対空戦闘を行った[20]。 4月20日、第四予備艦に指定[210]。 6月20日、特殊警備艦に指定されたが[20][211]、7月24日に命中弾1至近弾1、7月28日に命中弾4を受けて艦尾はほぼ切断状態となり、右舷に傾斜して着底した(呉軍港空襲)[212]

青葉はそのままの状態で終戦を迎え8月15日附で予備艦となり[20]、11月20日附で除籍された[20]1946年(昭和21年)11月より播磨造船の手により解体された[54]

これは解体中の昭和22年3月1日の写真だが、上から見るとこんな感じ。青葉だけではないが、ここで砲台になっていた。この話は20年12月だから、軍艦の死といえる除籍後の姿。水原はでかい背嚢をしょっているから除隊して青葉を別れを告げに来たと思われる。

刈谷:八月に隣保館の横で兵隊さんが行き倒れとったんじゃが

刈谷:どうも四月に陸軍にとられて広島へ行ったうちの息子じゃったらしい

刈谷:あの子の友達から九月に貰うた手紙でようやっとわかった

刈谷:自分の息子じゃと気づかんかったようちは

広島から呉まで30km以上ある。刈谷さんは手紙をもらうが、このまんがでは手紙は迷いを払い、人を導くものになっている。

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これはリンと別れて帰るすず。うしろに郵便局の看板が出ている。

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この刈谷さんあてのが「あの子の友達から九月に貰うた手紙」だ。すずが受け取ったのはすみちゃんの手紙。住んでいた江波から草津の親戚に身を寄せている。

すず:……………………

刈谷:あんたも目の前で晴美さんを…

刈谷:さぞや無念じゃったろうね

すず:………………はい

すず:なんでうちが生き残ったんかわからんし

すず:晴美さんを思うて泣く資格はうちにはない気がします

すず:でもけっきょくうちの居場所はここなんですよね

居場所の話は前にもあって

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これはあの世で、すずは自分も死ねばよかったと考えていたが、青葉の場面では、生き残った自分を肯定できるようになった。刈谷さんもすずもものすごくつらいのだが、とにかくこの世界=この世を居場所だと決めた。 リンが正しかった。

すず

すず

この世界で普通で

まともで居ってくれ

わしを笑うて思い出してくれ

それが出来んようなら忘れてくれ 

水原は、思い出すたびつらくなるなら、自分を忘れてくれていいと言っている。こっちの「それ」は「わしを笑って思い出してくれ」。

すず:生きとろうが死んどろうが

すず:もう会えん人が居ってものがあって

すず:うちしか持っとらん それの記憶がある

すず:うちはその記憶のとして この世界に在り続けるしかないんですよね

 晴美のように死んだ人や、水原のように生きていても会えない人がいて、自分にしかないその人たちの記憶がある。「」も「在り続けるしかない」も、受動的で選択の余地がない。思い出すとつらいからといって忘れられるような都合のいいものではない。この世界はそういうところであり、すずはそこを居場所にし、もう会えない人のことを覚えつづけることにした。

あっち見てってええ?

何のフネが居りんさるんかね

青葉よ

居ったのは青葉よ 晴美さん

 晴美は漢字で「船」と言えるから

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フネ」は船以外になんらかの意味があるが、ここでは水原のこと。

哲さん

 

いまあなたの笑顔の端に

波を切る青葉が宿っていた

 

うさぎの跳ねる海が

さぎの渡る空が宿っていた

 

わたしがちいさく

晴美さんがちいさく宿っていた

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下巻126-127ページ

すずにとって水原は非常に大きな存在だったことがわかる。

すず:晴美さんとは一緒に笑うた記憶しかない

すず:じゃけえ 笑うたびに思い出します

すず:たぶんずっと 何十年経っても

 なにかで笑うたびに晴美を思い出してつらくなる、そういうのがずっと続く。

わたしのこの世界で出会ったすべて

わたしの笑うまなじりに

涙する鼻の奥に

寄せる眉間に

ふり仰ぐ頸に 宿っている

自分が出会ったものの記憶は、頭の中というより、体のあちこちに宿っている。

 

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ここですずと水原はおたがいを認識しているが、声はかけない。なぜなら声をかけてはいけないと思っているからだ。

日本語には「しのぶ」ということばが二つあって、「忍ぶ」は

 の解説

《上代は上二段活用。平安時代になって「偲 (しの) ぶ」と混同し、四段にも活用》

[動バ五(四)]
  1.  つらいことをがまんする。じっとこらえる。耐える。「恥を―・んで申し上げます」「不便を―・ぶ」

  1.  自分の存在や行いを、人に気付かれないようにする。外から見えないようにして身を置く。隠れる。「人目を―・んで通う」「―・ぶ恋」「世を―・ぶ」「物陰に―・ぶ」

「偲ぶ」は

 の解説

《上代は「しのふ」で、ハ行四段活用。平安時代になって、「忍ぶ」(本来は上二段活用)と混同して「しのぶ」となり、上二段にも活用》

[動バ五(四)]
  1.  過ぎ去った物事や遠く離れている人・所などを懐かしい気持ちで思い出す。懐しむ。「故郷を―・ぶ」「先師を―・ぶ」

  1.  心引かれて、思いをめぐらす。慕わしく思う。「人となりが―・ばれる」「人柄を―・ばせる住まい」

  1.  物の美しさに感心し味わう。賞美する。

    1. 「秋山の木の葉を見ては黄葉 (もみち) をば取りてそ―・ふ」〈・一六〉

[動バ上二]1に同じ。
    1. 「なき人を―・ぶる宵のむら雨に」〈・幻〉

導入の都合上「吹っ切った」と書いたが、すずの水原への恋はいずれにもあてはまる「しのぶ」恋だ。平安時代の混同が千年後の平成によみがえった。これぞ文学の神髄なのである。「しのぶ」恋は現代からは失われてしまったが、リンの周作への恋もそうで、彼女がつらい思いをしていることもわかる。

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中巻135ページ

唇に指を触れるのはキスのかわり。桜の木の上の密会でこんなことをしているのだから、ふたりはユリなのです。

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ふたりの近さ、すずの顔向き、目線、瞳の大きさ、目と眉の形、リンの手の伸ばし具合、目線、目の形、一切合切が再現されていないのです。さすがに「なんか違う」と思って、あえて変えたのでしょう。

笑顔の入れ物なんです

アニメなんです。

刈谷:知らんかねえ
刈谷:隣保館で行き倒れとった兵隊が
刈谷:うちの息子じゃったらしい
刈谷:自分の息子と気づかんかったんようちは
 
刈谷:あんたも目の前で晴美さんを
すず:ええ……
すず:残念です……
 
すず
すず
わしを思い出すなら
笑うてくれ
この世界で普通で
まともで居ってくれ
すず
 
晴美さん
なんの船が居りんさるか見えたよ晴美さん
居ったのは 青葉よ
 
哲さん
いま あんたの笑顔の端に
うさぎの跳ねる海が
さぎの渡る空が
宿っとった
 
すず:晴美さんはよう笑うてたし
すず:晴美さんのことは 笑うて思い出してあげよう思います
すず:この先ずっと
すず:うちは、笑顔の入れ物なんです
長さがぜんぜん違うのはいいんです。
刈谷:八月に隣保館の横で兵隊さんが行き倒れとったんじゃが
(アニメ)
刈谷:隣保館で行き倒れとった兵隊
兵隊さん」が「兵隊」になったんです。しょっぱなからありえないんです。
刈谷:どうも四月に陸軍にとられて広島へ行ったうちの息子じゃったらしい
刈谷:あの子の友達から九月に貰うた手紙でようやっとわかった
これがなくなったんです。ここで手紙の話をしないなら、20年9月のエピソードに意味はなくなるんです。わざわざ四月、八月、九月と言わせているのに全部削ったんです。

刈谷:さぞや無念じゃったろうね

(アニメ)

すず:残念です……

これもないんです。ここは「無念」ということばを出すためにあるようなものなんです。 「残念」とは違うんです。

すず:なんでうちが生き残ったんかわからんし

すず:晴美さんを思うて泣く資格はうちにはない気がします

すず:でもけっきょくうちの居場所はここなんですよね

居場所の話をしているのに、全部削ったんです。 

この世界で普通で

まともで居ってくれ

わしを笑うて思い出してくれ

それが出来んようなら忘れてくれ 

(アニメ)
わしを思い出すなら
笑うてくれ
この世界で普通で
まともで居ってくれ

いちばん大事な赤字を削ったんです。 これで話がつづかなくなり、アニメはめちゃくちゃになったんです。

あっち見てってええ?

何のフネが居りんさるんかね

青葉よ

居ったのは青葉よ 晴美さん

(アニメ)

なんの船が居りんさるか見えたよ晴美さん
居ったのは 青葉よ

すずの心にずっと居ったのだから、見えたんではないんです。 

哲さん

 

いまあなたの笑顔の端に

波を切る青葉が宿っていた

 

うさぎの跳ねる海が

さぎの渡る空が宿っていた

 

わたしがちいさく

晴美さんがちいさく宿っていた

(アニメ)

哲さん
いま あんたの笑顔の端に
うさぎの跳ねる海が
さぎの渡る空が
宿っとった

作者は最後にちいさく書いたが、赤字がいちばん大事なんです。とくに晴美が大事なんです。でも全部削ったんです。

すず:生きとろうが死んどろうが

すず:もう会えん人が居ってものがあって

すず:うちしか持っとらん それの記憶がある

すず:うちはその記憶の器として この世界に在り続けるしかないんですよね

 

すず:晴美さんとは一緒に笑うた記憶しかない

すず:じゃけえ 笑うたびに思い出します

すず:たぶんずっと 何十年経っても

 

わたしのこの世界で出会ったすべては

わたしの笑うまなじりに

涙する鼻の奥に

寄せる眉間に

ふり仰ぐ頸に 宿っている

(アニメ)

すず:晴美さんはよう笑うてたし
すず:晴美さんのことは 笑うて思い出してあげよう思います
すず:この先ずっと
すず:うちは、笑顔の入れ物なんです

まんがは「思い出すとつらくても、忘れてしまえるような仕組みにはなっていない」といっているんです。アニメはなんで笑顔の入れ物になったのかというと

それが出来んようなら忘れてくれ 

これを削ったからなんです。

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下巻124-125ページ

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下巻126-127ページ

青葉は水原が乗っているだけで、すずとは直接関係ないんです。上の見開きは、「この場所で水原が防空砲台になった青葉に乗って国とすずを守って戦った」という意味なんです。

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こういうのを水原は撃ち落としていたんです。除籍された青葉は、水原のすずを守る役割が終わったということでもあるんです。それが浮かび上がるのは、すずの感謝なんです。すずは水原が呉にいることを知っていたんです。童貞には「命がけで他人を守る」という考えがないんです。刈谷さんの「兵隊さん」を「兵隊」に呼び捨てに変更するなんて、ありえないんです。童貞がただのミリオタだということがよくわかるんです。

そもそもこの場面は見開きの青葉のコマが二つもあるんです。だからこのまんがでも最も重要な場面なんです。

 

21年1月「人待ちの街」は原爆投下後の広島が舞台なんです。

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「この世界の片隅に」と、まんがの題名が入っているコマだが、小さいので重要性はあまり高くないんです。大コマのほうが重要、あたりまえなんです。

すずはばけもんに背負われて、望遠鏡で広島の光景を見るんです。

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すずは呉に嫁ぐ前に広島の光景をスケッチするんです。

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何カ所かスケッチするんですが、すずが自分のために絵を描いたのはこの回だけなんです。スケッチするだけでなく、自分の目にも焼き付けているということなんです。アニメではすずの絵ばっかり映して実物はちらっとしか映らないんです。演出するなら観客の目にも焼き付けないといけないんです。すくなくとも注意深い観客には、あとで「あ、原爆ドームね」と思わせてはいけないんです。

「人待ちの街」で、すずは草津の親戚に身を寄せているすみちゃんに会いに行ったあと、江波の無人の自宅に行き、それからなじみがありスケッチもしたことのある広島県産業奨励館に行ったんです。そこですずが変わり果てたドームをはじめて見る場面なんです。すずは原爆被災地になった故郷を初めて見て、絶望的になっていたんです。それで「この世界の片隅に」とやったんです。でもセリフとしては大げさだからおかしみがあるんです。アニメでは江波の自宅はスルーして草津から直行したので、なにしに行ったのかわからないんです。

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まだ行方不明者も大勢いるし、死んだと聞かされていても「ひょっとしたら」と思うのが人情なんです。このすぐあと、へたりこんだすずを海軍が解体されて戻ってきた周作が見つけるんです。この再会は偶然ですが、リンがすずと周作を引き合わせたんです。相手を覚えていれば、探すことができるし、もし死んでいたとしても、死者が守ってくれる。これが「人待ちの街」という副題の意味なんです。おなじ場所で幼いすずと周作を引き合わせたのは、ばけもんこと、この時点ではまだ存命のすずの鬼いちゃんなんです。

この世界の片隅に」は、原爆で変わりはて、あの世みたいだがかろうじてこの世である広島に、という意味なんです。だから片隅が居場所なんてことは断じてありえないんです。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』という題名がどれだけ恥知らずなのか、よくわかるんです。

片隅でないのは「まとも」であり、すずの「歪(いが)んどる」の反対なんです。

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中巻88ページ

水原:すずがここで家を守るんも

水原:わしが青葉で国を守るんも

水原:おなじだけ当たり前の営みじゃ

水原:そう思うてずうっと

水原:この世界で普通で…

水原:まともでおってくれ

まとも」に 傍点がふってあるが、他に傍点がふってあるのは

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これは「ここがイヤになったらね」=「周作ではなく北條家がイヤになったらね」という意味なんです。傍点は意味を限定するんです。

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「普通」「まとも」は、すずが家を守って浮気をしないことなんです。それを理解することで青葉の場面の本当の意味がわかるんです。

この世界で普通で

まともで居ってくれ

わしを笑うて思い出してくれ

それが出来んようなら忘れてくれ 

を書き換えて

この世界で周作さんと添い遂げてくれ

わしを笑うて思い出してくれ

それが出来んようなら忘れてくれ 

はじめてすずと水原のしのぶ恋がビビッドなものになるんです。

片渕名誉童貞監督はまんがの読みかたを全然わかってないんです。セリフやコマのつながりを読み取れず、現代の感覚を当てはめて、それからつなげているだけなんです。それでよく映画を作る気になったものなんです。まんがと映画を両方見た上で映画をほめてる評論家や文化人も全員童貞なんです。

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下巻150-151ページ

これが最初のカラー見開きと対になる、すずの「居場所」なんです。まんが『この世界の片隅に』は「片隅」の広島から「居場所」の呉へ、すずが移動する恋の物語なんです。童貞映画には「片隅」が欠けているんです。だから片隅=居場所になったんです。

まんがの描くアナクロな価値観が作者のものかどうかはわからないんです。しかし、「昔の人はそうだった」として、戦中から戦後すぐの価値観として描いているのは間違いないんです。

 

もうみんな完全に忘れていると思いますが、「童貞監督」の元ネタはこれです。

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