前編:映画『聲の形』の植野さんはアスペルガー障害なのです&WヒロインはWメンヘルなのです
アニメ映画『聲の形』の終盤の植野さんと西宮かあちゃんのケンカから最後まで、時間に沿って解説するのです。
西宮さんの本当の問題は聴覚障害ではなく「嫌われたら死ぬ」性格にあり、植野さんはアスペルガーではなく「自分が嫌い」なところにあるのです。二人ともメンヘルなのです。もとから半分死んでたようなものだったのです。植野さんと西宮さんのWメンヘルのあいだには、アスペルガーと聴覚障害の二重の障害があったのです。でも「自分が嫌い(他人は好き)」と「嫌われたら死ぬ(自分から愛する)」は相性は良かったのです。ふたりはメンヘルは治らないままですが、だんだんよくなっていくことが感じられるのです。
超絶美少女・植野さんと超美少女・西宮さんまとめ
- 西宮さんは本来は気が強いのだが、かあちゃんとの関係が悪く、「嫌われたら死ぬ」子だった
- そのわりには西宮さんは受け身で愛されることばかり考えていた
- 西宮さんは聴覚障害のため自分の考えを伝えられないのでので、嫌われないように、悪くなくてもすぐあやまったり卑屈になったりしていた
- 植野さんはアスペルガーのため、悪くないのにあやまる西宮さんを理解できず、また特有の怒りを覚えていた
- 植野さんの人間関係には「好き」と「嫌い」しかなく、あいまいな関係が苦手だった
- 植野さんはかあちゃんを亡くして弟3人の面倒を見ていた。かあちゃんに甘えられず「自分が嫌い」だったが、他人は好きだった
- 植野さんは本当は西宮さんと友だちになりたかったのだが、いじめた罪悪感とアスペルガーの怒りのため、「西宮さんを好きになってはいけない」という強迫があった。
- 植野さんは将也があいまいなことを言うのも理解できなかったが、自分のことを嫌いだと言ったので、ようやく納得がいった
- 植野さんは、西宮さんが自分を嫌いだといえば納得できておだやかな関係になれるだろうとおもった
- しかし、理解できないはずの西宮さんが、自分とまったくおなじ「自分が嫌い」だと言ったから、ふざけていると思った
- 植野さんは西宮さんが飛び降りた理由を知らない
- 西宮さんは自分とおなじ「自分が嫌い」だから、植野さんは自分の気持ちを西宮さんにあてはめて「あたしは、みんなに迷惑かけて/とっても傷ついたので/自殺しようと思いました/ごめんなさい」といった。
- 西宮さんは植野さんが本気で怒ってくれたので、飛び降りたのを悔いた
- 西宮さんは植野さんを愛そうと、病院で出待ちしたり傘を差しかけたりした
- 植野さんは西宮さんにハラを立てたままだが、待っていてくれたり傘をさしてくれたりしたので「西宮さんを好きにならなければならない」という強迫が生じた。
- 植野さんは将也に話すことですこし変わり、「西宮さんを好きにならなければならない」が「西宮さんを理解しなければならない」になった。
- 植野さんはとうとう西宮さんに理解を示し、悪くないのにあやまっても受け入れた
- 植野さんが手話で「バカ」とやり、西宮さんはうれしくなったが、ドSなので植野さんの手話がちょっと間違っていたので訂正して「バカ」とやり返した
- 植野さんは西宮さんを理解できたのと、ドMだったので言い返されたことがうれしくなった
- 植野さんはまたすこし変わり、「西宮さんを好きになってはいけない」が「西宮さんをスキにならなければならない」になった。
以上、作品の表面にはあらわれないことばかりですが、かなり複雑な話なのです。
と
これが真の主人公にして超絶美少女の正ヒロインの植野さんが変わるカット
こちらが副ヒロインの美少女の西宮さんが変わるカットなのです。回数とモーションの大きさから正副がわかるのです。
西宮さんが飛び降りたのにははっきりした理由はないのです。苦しい出来事が重なって重いウツになっていて、花火に誘われるように自殺を図ったのです。わざわざ自宅に戻って死のうとしたのは、ばあちゃんのところに行きたいと思ったからなのです。
唯一の理解者だったばあちゃんが亡くなったのは大きな要因になっているのです。鬼母と気持ちの悪い写真を貼る妹しかいなくなるのです。二人とも愛情はあっても、自分勝手なのです。
植野さん一家はかあちゃんは亡くなったけど、みんな仲がよく、かあちゃんを偲んでいるのです。
西宮さんは補聴器を玄関に置いて飛び降りたから、将也が叫んでも聞こえないのです。
どう飛び降りたらこういう形になるのかはわからないが、とにかく西宮さんはなにかに向かって右手をのばしたことはわかるのです。反射的にしろ、助けてもらおうとする意思があったわけで、それにしては表情が浮かないのです。コレジャナイ感を漂わせているのです。
西宮さんは植野さんにどつかれながらずっとうなだれていたが、ここだけ生気のある顔をしているのです。これは
植野:おい西宮
植野:お前、マジ最悪なんだよ
の直後のカットだから、西宮さんは「お前、マジ最悪なんだよ」と言われてハラを立てている、すくなくともきちんと受け止めようとしているのです。
西宮さんは飛び降りたときに人の気配を感じて植野さんだと思って右手をのばしたが、将也だった、ということのようなのです。
みんなの仲を壊して嫌われた(と思い込んだ)西宮さんが自殺を図ったが、将也に助けられたのです。将也がかわりに落ちて大ケガしたのがここまでなのです。
西宮母:すみませんでした
将也母:やめてください!将也母:きっと息子がまた、章子さんになにかしたんです
結絃:おばさん、石田はうちのバカ姉ちゃんを助けてたんです結絃:オレの監督不行き届きです
結絃:ごめんなさい
将也母:どうか
将也母:どうか、顔を上げてください
将也母:硝子さんが無事でなによりです
将也母:結絃ちゃんも、ねっ?
将也母:お願いだから……
西宮かあちゃんが病院で将也かあちゃんに土下座するのです。生意気に結絃もいっしょに土下座なのです。結絃を西宮さんの男親代わりにして、男の無力さを描いているのです。
植野:なんで石田が
植野:傷つかねえといけねえんだよ!
セリフとBGMのオーバーラップから、この二つの場面が一続きであることがわかるのです。BGMは映像とことなり、あたたかみのあるものなのです。
植野:悲劇のヒロインぶってんじゃねーぞ!
病院玄関横で植野さんが西宮さんをどつくのです。
植野:なんか言えよ
植野:「あたしは、みんなに迷惑かけて」
植野:「とっても傷ついたので」
植野:「自殺しようと思いました」植野:「ごめんなさい」
植野:か
植野:とんだ思い上がりなんだよ!
弱ってる西宮さんに乱暴な植野さんなのです。
植野:「あたしは、みんなに迷惑かけて」
植野:「とっても傷ついたので」
植野:「自殺しようと思いました」
植野:「ごめんなさい」
植野さんはみんなが橋で仲違いした場面
植野:それっておかしいよね
植野:その件で、わたしたちに石田を責める権利ないでしょう?
からここまで出てこないので、飛び降りの理由を知らないのです。
実は植野さんは自分が嫌いで、友だちづきあいも苦手だが、みんなが仲良くしているのを見るのが好きで、仲違いの原因を作ってしまってとても弱っているのです。この映画は「植野さんは自分が嫌い」だということを、たびたび描いているのです。観覧車で植野さんは西宮さんも自分とおなじ「自分が嫌い」だと知ったので、ここでも自分の気持ちを西宮さんに当てはめているのです。つまり、植野さんは自殺を考えていたのです。
植野:悲劇のヒロインぶってんじゃねーぞ!
自分も悲劇のヒロインぶってることを理解しているのです。
植野:おい西宮
植野:お前、マジ最悪なんだよ
植野:あんたみたいに
植野:てめえの頭ん中でしか
植野:ものごと考えられねえようなやつが
植野:いっちばん腹たつんだよ!
あとで見るが、植野さんは敵意を向けた相手には「お前」なのです。
植野:お前、マジ最悪なんだよ
植野:あんたみたいに
すぐに戻ってしまったのです。
植野:てめえの頭ん中でしか
植野:ものごと考えられねえようなやつが
植野:いっちばん腹たつんだよ!
これも植野さん自身のことなのです。植野さんは自分が嫌いなのです。 「お前、マジ最悪なんだよ」も自分のことなのです。しかし植野さんは涙声になっていて、西宮さんが命を粗末にしたことを本気で怒っているのです。
川井さんのお尻にばかり目が行きますが、西宮さんはどうも、自分が悪いと思っているときはうなだれるようなのです。
こちらは西宮さんがきつめの表情でにらみ返しているのです。
植野:お前、マジ最悪なんだよ
西宮さんは自分は悪くないと思っているのです。「お前の方が悪い」とでも言いたげなのです。
西宮さんが腕をつっているのは、将也に助けられたときに脱臼したのです。
玄関から出てきた西宮かあちゃんが植野さんを張り倒したのです。
植野:ちいっ
植野:お前、だれだよ
植野さんは敵意を向けた相手を「お前」と呼ぶのです。
植野:お前、西宮の母親か?
結絃:やめ……
植野:ちゃんと世話できねえんだったら、ガキなんて産むんじゃねえよ!
結絃は西宮さんの父親代わりなのですが、無力なのです。
植野:ちゃんと世話できねえんだったら、ガキなんて産むんじゃねえよ!
これも植野さん自身のことなのです。
植野さんのかあちゃんは亡くなっていて、植野さんがかあちゃんがわりなのです。本当は自分もかあちゃんに甘えたいのです。
西宮かあちゃんが世話できてないのは事実なのです。西宮さんは入院させて保護する必要があるのです。
西宮かあちゃんは結絃の世話もできてないのです。きちんと勉強させてないのです。いくら素質があっても、この学力ではカメラマンにはなれっこないのです。
将也母:なにやってるの
将也母:やめなさい
将也母:やめなさい!
植野:なんで!
将也母:なにしてるのよ……
結絃:ぐっ……
将也かあちゃんが止めにはいるのです。
将也母:硝子…さん?
西宮:ううう
西宮:ゴメ……
西宮:ゴメンナサイ……
西宮:ゴメンナサイ……
西宮:ゴメンナサイ……
西宮:(泣き声)
西宮さんも土下座するのです。将也に大ケガさせたことを謝っているというのは間違いではないのです。しかしこの場面にはもっと大事な意味があるのです。それはこれがキリスト教の『ルカによる福音書』の「罪の女」の再現になっていることなのです。
概要[編集]
ガリラヤ地方のある町で、イエスはファリサイ派のシモンの求めに応じ、彼の家で食事の席についていた。そこに、この町のひとりの罪深い女が香油の入った器を持って現れ、泣きながら、うしろからイエスの足もとに近寄り、イエスの足をたくさんの涙で濡らし、自分の髪の毛でぬぐい[注釈 1]、イエスの足にせっぷんをして香油をぬった[注釈 2]。
それを見たシモンは「この人がもし預言者なら、自分に触れている女が罪深い女だとわかるはずだ」と思った。それを読み取ったイエスは「二人の負債者のたとえ」をシモンに語る。この女は多くの罪をゆるされたから、その罪を赦した私を多く愛するのだと教え諭した。そして女に「あなたの罪は赦された」、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。同席していた人々は「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。
西宮さんの罪はもちろん自殺企図で、『聲の形』はたんに他人や自分を傷つけてはいけないというだけの話ではないのです。
<7:47>それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。
これまでの西宮さんは愛されることを願うばかりだったが、西宮さんはこれから多く愛することが明らかになるのです。
おなじ『ルカによる福音書』の善きサマリア人のたとえは
概要[編集]
ユダヤ人のある律法学者(英語版)が同じくユダヤ人であるナザレのイエスに永遠の生命を受けるために何をすべきかを問いかけた際、イエスが逆に律法にはどうあるかと尋ね返した。律法学者が答えた内容(神への愛と隣人への愛)に対しイエスが「正しい答えだ、その通りにしなさい。そうすれば生きる。」と答えると、さらに律法学者が「では隣人とは誰か」と重ねて尋ねた。これに対し、イエスは以下のたとえ話をした。
ある人がエルサレムからエリコに向かう道中で強盗に襲われて身ぐるみはがれ、半死半生となって道端に倒れていた。そこに三人の人が通りかかる。
最初に祭司が通りかかるが、その人を見ると道の向こう側を通り過ぎて行った。次にレビ人が通りかかるが、彼も道の向こう側を通り過ぎて行った。しかし三番目に通りかかったあるサマリア人は、そばに来ると、この半死半生の人を助けた。傷口の治療をして、ろばに乗せて宿屋まで運び介抱した。そして翌日になると宿屋の主人に怪我人の世話を頼んでその費用を払った。
このたとえ話の後、律法学者に対してイエスは、このたとえ話で誰が怪我人の隣人となったかを律法学者に問い、律法学者が「助けた人(サマリア人)です」と答えると、「行って、あなたも同じようにしなさい」とイエスは言った。
こんな話で、西宮さんは傷ついた植野さんの隣人になったことがわかるのです。
白いタンポポはハルジオンなのです。たぶん春+シオンのダジャレなのです。
西宮さんが将也の見舞いに来たところなのです。
植野さんが見舞い品だけ受け取って追い返したのです。植野さんは面会時間(午後一時から)ずっと病室にいるのです。将也はまだ意識が戻ってないのです。植野さんは西宮さんに怒っているのです。
そのあと永束との会話で
永束:それって、橋でのこと?
西宮:…
永束:やーしょーはさ、おれみたいなやつを受け入れてくれたんだ
永束:親友んってこういうものなんだって、初めて知ったよ
永束の声が小さくて西宮さんには聞こえていないのです。
よーく見れば、西宮さんの目が開き瞳が収縮していることがわかるのです。西宮さんはショックを受けたのです。なぜかというと
永束が「目を覚ましてもらわなきゃ困る」と追い詰めたのです。永束は西宮さんを責めるつもりで書いたわけではないのですが、配慮がないのです。男は醜く汚らわしいのです。
場面が変わり、植野さんと西宮かあちゃんのケンカの場面とおなじBGMになるのです。
川井:つらいから死ぬなんてどうかしてる!
永束:川井さん、声がでかいよ……
川井:大きい声を出さないと聞こえないの西宮さんには
川井:みんな心配してたのよ
川井:だれだって
川井:生きてればつらいこともあるの
川井:でも、みんなそうでしょう?
川井:だから
川井:自分のダメなところも
川井:愛して前にすすんでいかなくちゃ
川井さんができる子なのです。
永束:川井さん、声がでかいよ……
川井:大きい声を出さないと聞こえないの西宮さんには
川井さんの説教には意味はないのですが、西宮さんを抱きしめていることが重要なのです。スキンシップなのです。言うことはあいかわらずですが、川井さんは変わったのです。イケメンは声が小さいのです。
佐原:そっか
佐原:みんなのところ、行ってきたんだ
佐原:すごいね
佐原:わたし
佐原:自信、ないよ
佐原:もし
佐原:石田くんが目覚めても
佐原:わたし、あわせる顔がない
佐原:わたしは、変われなかった
佐原:(早口で)硝ちゃんのことまた守れなかった
佐原さんの足はターンしないので、変われなかったことを意味してるのです。
佐原:(早口で)弱虫のまま
西宮:コレカラ
西宮:カワル
西宮:ショウチャン
佐原:きてくれてありがとう、硝ちゃん
こんどは西宮さんからスキンシップなのです。靴を映して足がターンするのは変わることの表れなので、ここでは佐原さんが変われなかったことを表しているのです。西宮さんは嫌われると死ぬので、受け身ではなく、変わらないと生きていけないのです。「わたしは、変われなかった」とは言うが、過去の話なのです。
とにもかくにも、かあちゃんの愛に飢えていた西宮さんと植野さんだったが、西宮さんは植野さんに叱られてかあちゃんに守られて満足したから、自分が植野さんのかあちゃんになる番なのです。
BGMはつづいているのです。
植野さんは午後一時きっかりに将也のお見舞いに来ているのです。だから他の見舞客を追い出せたのです。赤いシャツは西宮さんに怒っていることを表しているのです。
西宮さんのうしろに怪しい像があるのですが、なんだかわからないのです。
西宮さんが植野さんを追いかけるのがどん詰まりの出口だという意味なのです。
青いシャツは西宮さんへの怒りが消えたことを表しているのです。
ネコの足がプリントされているので、植野さんは親に捨てられたネコなのです。
にゃんにゃん倶楽部の売れ残りのようなのです。
植野:くっ……
西宮さんが迎えに来てくれるので「西宮さんを好きにならなければならない」という強迫が生まれ、「西宮さんを好きになってはいけない」と板挟みになったのです。
ターンは「自分が変わること」を意味しているのです。西宮さんはここで植野さんを愛する決心をしたのです。それでやっと追いかけたのです。これはこの作品だけの約束事であり、まどマギにはまた別の意味があるのです。
よく見ると西宮さんは眉がつり上がっていて、口もへの字だから、怒っているのです。西宮さんは植野さんのかあちゃんになるのです。植野さんがすねているから怒っているのです。
植野さんが車に水をはねられるのです。
植野さんがは自分が嫌いなので、ズブ濡れになってもしかたがないと思っているのです。
植野:てめえの頭ん中でしか
植野:ものごと考えられねえようなやつが
植野:いっちばん腹たつんだよ!
植野さんはこれにあてはまるのです。西宮さんが待っていてくれるのを自分の頭の中だけで考えていて、それにハラを立てているのです。そういう自分も嫌いなのです。
植野:はっ
植野さんの眉がつり上がるのです。「西宮さんは自分を待っていてくれるのだから、好きにならなければならない」と考えているのですが、板挟みになるので、ほっといてほしいのです。
西宮さんは「嫌われたら死ぬ」から変わって、自分が生きるため愛する必要があるのです。
ふたりで仲良く水をかけられたのです。植野さんの人間関係は「好き」「嫌い」しかなかったのだが、ふたりで落ちるところまで落ちて、おなじ立場だと知ったのです。どうやってかは知らないが、西宮さんは板挟みを一歩先に出たのだと、植野さんが知ったのです。
西宮さんと将也が夢から覚めて飛び出して、橋で出会う場面なのです。
西宮さんは将也がおばけじゃないことを確かめているのです。二コマ目は後ずさったのです。
将也:えっ
将也:だいじょうぶ……?
西宮:(手話)
将也:うん、よかった、無事で
将也は西宮さんを助けたところから、ついさっきまで意識が飛んでるのです。 つまり将也は西宮さんが飛び降りたことは知っていても、なぜ自殺を図ったのかは知らないのです。
将也:西宮
将也:おれ、もう元気だよ
将也:だいたいは
将也:そんな顔、しないでよ、西宮
将也:ああ、そうだ
これからあやまるのに、「ああ、そうだ」はないのです。あやまるなら手紙を書くのが常識なのです。
将也:西宮さん
将也:ごめんなさい
将也:昔のこと
将也:ちゃんと
将也:あやまってなかったから
将也:あと、そのあとのこととかも
将也:いっぱい
将也:おれさ、たぶんきみのこと
将也:都合よく、解釈してた
まさにそのとおりなのです。京アニの観客へのヒントなのです。
将也:もっと、話がしたかったんだ
将也:きみと
将也:たぶん
将也:それだけ
将也:なのに
将也:おれは
将也:きみを傷つけて
将也:結果、最悪な選択させちゃって
将也は西宮さんを助けてからついさっきまでずっと寝ていたので、西宮さんが飛び降りた理由を知らないのに決めつけているのです。
西宮:チガウ
西宮:ワタシガ カワラナカッタ カラ
「嫌われたら死ぬ」から変われなかった、なのです。
西宮:アナタガ オチタ
西宮:ゼンブ ワタシノ セイ
西宮:ワタシガ イナクナレバ イインダ
これは西宮さんの指なのです。西宮さんは自殺を図ってからなんのケアもされておらず、弱ったままなのでこんなことを言うのです。川井さんと佐原さんがよくしてくれているだけなのです。
西宮:ゴメンナサイ……
将也:な、泣かないでよ、西宮……
西宮:アウウ……
将也:ねえ、西宮
西宮:……?
将也:おれ、さっきまで、きみと話してた
将也:夢ん中で、あきらめようと思ってたみたい、いろいろ
将也:でも、違った
将也:おれも、ずっと西宮と
将也:おなじこと、考えてたけど
将也:それでも、やっぱり
将也:死に、値することじゃ、ないと
将也:思ったよ
将也は考えていただけだが、西宮さんは実行に移したのです。
将也:みんなにも、ちゃんと。あやまりたい
西宮さんははげまされて泣き止んだのではなく、なにも知らない将也に説教されて絶望して泣いたのです。
将也:あのさ
将也:西宮、おれ
将也:きみに、生きるのを、手伝ってほしい
西宮:はっ
将也:西宮
普通こういうのは「きみが、生きるのを、手伝いたい」ときにするものなのです。あべこべなのです。あまりのあつかましさに観客は不自然を感じなくなるのです。自分にひどいことを言っておいて、あつかましさに西宮さんの愛想がつきたのです。
将也:あ、あれ
将也:キ、キモいことやっちゃったな
将也:ヤバイ、うわー
将也:ご、ごめんね、忘れて、西宮
将也:いまの、忘れて?
西宮:プーッ
手話ではないのです。将也が手を取ったのだから、彼と約束するつもりであれば彼に指を差し出すのがスジなのです。指切りは恥ずかしいから自分で二人分をやったのではなく、変わらない将也に愛想をつかしたのです。
この怪魚は、観客を間違った方向に誘導するためだけにいるのです。
これは夏休み中なのです。
これは新学期なのです。BGMなしなのです。
将也:お見舞い、来てくれてたって
植野:あたしさあ、ダメなやつなんだ
植野さんは自分が嫌いなのです。
植野:こんな状態になってやっぱり
植野:よけいに
植野: 西宮さんのこと好きになれなくてさあ
植野: ……ならなくてもいいのか……
ターンは変わることのあらわれなのです。植野さんは「西宮さんは傘を差しかけてくれたのだから、好きにならなければならない」と考えているが、板挟みになっているのです。
将也に話すことで
植野:てめえの頭ん中でしか
植野:ものごと考えられねえようなやつが
ここから脱却して、
植野: ……ならなくてもいいのか……
となったのです。「好きにならなければならない」がすこしだけ変わって「理解しなければならない」になったのです。これで板挟みを脱却できたのです。
植野:あ、石田が落ちたとき
植野:あんたのこと引っ張り上げたのは、島田たちだから
植野:黙っとけって言われたけど
この場面は大きな遊具から、遊園地の場面の再現になっていることがわかるのです。植野さんはまた将也と島田を仲直りさせようとしているのですが、将也は島田が助けてくれたことに反応しないのです。
植野:石田
植野:おかえりー
植野:じゃ、帰るわ
将也:ありがと……
植野さんの「おかえりー」は皮肉なのです。将也が帰った世界からは、自分は元の世界に帰るのです。顔にバッテンをつけて、変わらない将也に愛想をつかしたのです。にこやかな笑顔ではなく、嘲りの笑顔なのです。よく見ると、植野さんの眉がハの字になっていて、心からの笑顔ではないことがわかるのです。
このスジは、植野さんと将也の断絶をあらわしているのです。黒い飛行機雲なんてありえないのです。
文化祭なのです。10月終わりか11月あたまくらいなのです。植野さんは西宮さんのことを考えて夏休みから二、三ヶ月のあいだ悶々としていたのです。
BGMはないのです。
植野:うっわ、きんも
植野:友情ごっこかよ
植野:鳥肌たったわー
この映画では、トリは友情の象徴なのです。植野さんは友情に慣れていないのです。
植野:そんな深刻な話
植野:してねーよ
植野さんが西宮さんの肩をぎこちなく叩くのです。スキンシップなのです。西宮さんはまた悪くないのに謝るのです。植野さんのシャツにりんごのアップリケがあるのです。西宮さんの耳には補聴器があるのです。
植野:また謝った
植野:ま
植野:それがあんたか
夏から秋にかけて、植野さんがついに西宮さんを理解したのです。
植野:バー
植野:カ
植野さんの手話はちょっと間違っているのです。
西宮さんが一気に詰めてくるのです。
西宮:バ
西宮:カ
植野さんは驚いて西宮さんの手を見たのだが、西宮さんの意図を理解しようとして、自分の手も見て指を自分で開いているから、間違いを訂正されていることがわかっているのです。
西宮:バ
西宮:カ
西宮さんは喜んでるくせに、「バカ」と言われたのでやり返したのです。西宮さんは気が強くてドSなのです。
植野:ん……
植野さんは西宮さんの言いたいことがわかったことと、やりこめられてよろこぶドMのため内心では「プ」の字のように喜んでいるのです。
植野:あーもう、知らん
植野:からあげ食べにいこうっと
川井:逃げた…
佐原:照れたんだよ
植野さんのターンは、「西宮さんを好きになってはいけない」が「西宮さんをスキにならなければならない」にすこしだけ変わったことのあらわれなのです。たしかに字面ではちょっとの変化だが、気持ちはものすごく大きな変化になるのが痛快なことば遊びのおもしろさなのです。
植野: 西宮さんのこと好きになれなくてさあ
植野: ……ならなくてもいいのか……
植野さんは二回のターンで、板挟みから「西宮さんを理解しなければならない」「西宮さんをスキにならなければならない」に変わったのです。 これはターンの意味合いを知らないとわからないことなのです。トリ(からあげ)は友情の象徴なのです。
西宮さんはかあちゃんとの関係から、嫌われたら死ぬ子になってしまい、それで卑屈だったが、本当は勝ち気のドSなのです。植野さんはかあちゃんを亡くして甘えられず、自分が嫌いなのですが、本当はやりこめられると喜ぶドMなのです。最初は相性最悪だったふたりが、おたがいを理解することで、相性最高になるのです。女(の子)は変われるのです。映画にはまったく描かれなかった植野かあちゃんの存在も大きいのです。
りんご(飴)が妙に目立つのです。西宮さんの補聴器は、色ツヤがりんご飴に似ているのです。つまり女子は四人全員がりんご飴を持っていて、通りがかりの女の子ふたりも持っているのです。男子はりんご(飴)ではなくタコ焼きなのです。つまりりんご飴は女の子の親密さの証なのです。
西宮さんと植野さんを指して「宇宙のの入口」なのです。これは女の子だけの親密宇宙:ユリバース♥のことなのです。りんご飴を持っている四人や、通りがかりのふたりはユリなのです。変わらない男どもはいらないのです。
結絃がばあちゃんに作ってもらった梅酒かなんかなのです。ばあちゃんは升で酒を飲んでるのです。結絃だけ髪の色が違うのです。
佐原:そういえば胸元おっきくなったよね
佐原:なにカップだろ
佐原:確かめてやる!
あらためて見るとたいへんユリくさいのです。
りんご飴でない飴は、ただの好意なのです。
女の子もかあちゃんも変われるのです。将也をはじめ、男は全然変われないのです。映画『聲の形』は徹底した女尊男卑のユリ映画なのです!原作は読んだことないけど、こんな話じゃないよねえ?
注意!ここからエッチな話になります
ビンタの応酬からつかみ合いなのです。
将也かあちゃんがゆっくり止めに入るのです。どこから子供が出てきたのかわからない美尻なのです。
キャットファイトなのです。将也かあちゃんがレフリーなのです。美女の顔に傷をつけるのも、京アニはよくわかっているのです。
膝の裏もバッチリなのです。
西宮さんが這いつくばって靴を舐めているのです。
「りんご バナナ」と「あんみつ」があやしいのです。禁断の果実
「禁断の果実」という語は、不法・不道徳・有害な快楽や耽溺を表すメタファーとして使われる。特に、人間の性に関連する快楽に関連付けられる[6]。
小学生の植野さんのシャツの柄のりんごなのです。この頃から女の子りんごが好きだったのです。縦に切っているのです。汁もたらしているのです。京アニは小学生にも容赦ないのです。文科省もえらいのとタイアップしたのです。
ユリバース♥では相手を限らなくていいのです。
植野さんがネコなら、西宮さんはタチなのです。
西宮さんは耳、植野さんは胸が弱点なのです。貧乳のほうが感度がいいのです。
ギターの弦のように、「にちゃあ」となるのです。
植野さんが西宮さんのひとつしかない大切な処〇を奪ったのです。
きれいなスジなのです。