プリキュア・イターナルサンライズ!

プリキュアは2023年に車椅子の巨乳科学者・虹ヶ丘ひろみ/キュアヘリオと三体合体巨大ロボ「イターナルV」が登場し、2024年は火星が舞台のロボット刑事ものになるのです。

けものフレンズ2

9話と12話の解説もどうぞ。

陰惨な世界を舞台に、新しい人類になっていくフレンズと、不変の、人間らしさと誇り高い野生を描いた途方もないスケールの傑作だ。
前作では町山智浩的な、現実的な物を画面に映る象徴的な物に対応させ、自分の欲望や欲求を満たそうとするオタクの♡♡♡ースタイル(それを本作で発揮すると、アムールトラは本当は遊びたいだけ、イエイヌがかわいそう、などになる)が視聴だったが、本作は逆に、大事なことがらは作品の内部的な論理にもとづき間接的に描かれており、視聴者はそれらを組み立てて全体像を想像的に知る、一般的な文学、映画的なスタイルが要求される。
本作は個人と人類を重ね合わせ同時に描く科学ロマンスの真骨頂であり、完成度も極めて高い。かばんとサーバルの別れの場面はごくありふれたものだが、これに「新しい人類になっていくフレンズ」という文脈を与えれば、人類が初めてウソをついた瞬間をその理由とともに目撃することになり、戦慄を禁じ得ない。

 

セルリアンに食べられたフレンズは「輝き」を奪われ動物になり、記憶も永遠に失われる。セルリアンを倒すとサンドスターになって散る。 サンドスターは「輝き」すなわち<ヒトの情報や記憶>が結晶になったもので、動物の遺物に作用させれば、動物とヒトの合成物であるフレンズを作り出すことができ、また死んだヒトを蘇生することもできる。 サンドスターとセルリウムを使い、飼いやすい、「動物を手下にした」フレンズを経由して絶滅した動物を復活させるのがジャパリパークの目的だった。アムールトラなどビーストは姿は女子高生だが中身は完全な動物だ。イエイヌも絶滅しており、海にも魚がいないからすべての動物が絶滅していたようだ。「アヅアエン」は「アジア園」だろうから人間世界もかなり怪しいことになっていた。

9話、イエイヌの家の窓から見える月

中央やや左下に見えるのが宇宙ステーション
人類の生き残りはここにいる人たちとキュルルとかばんのみ

イエイヌがいう「ある日」、キュルルが最後の絵を描いて彼女に渡した直後、なんらかの事故で突然セルリウムがセルリアンを生み出しはじめた。小は急須から大は大型客船までのセルリアンが生まれ、ヒトを攻撃し絶滅させた。宇宙ステーションにわずかな人々と、地球にはフレンズだけが残った。キュルルもこの時に殺されたが、園内の病院の蘇生装置に入れられた。フレンズは全員女性だから男性のキュルルはヒトのフレンズではない。
キュルルが目覚めたときには人類滅亡から数十年以上が経っていた。海面上昇のためさまざまな施設が海に沈んでいた。フレンズは成長も老化もしないがヒトの記憶はなくしていくことがエピローグのイエイヌの様子などからわかる。本作における人間らしさとはまず道具を使って遊ぶことから始まり、フレンズは回を追うごとに人間らしくなっていく。彼らがこの世界の新しい人類となっていくようだ。

ヒトは孤独でフレンズとの友情がなければ生きていけず、フレンズは人

f:id:ChaldeaGecko:20190419223715p:plain

「うん」「約束だよ」「かばんちゃん!」

間らしくあるためにはヒトの記憶がかかせない。アムールトラは野生すぎ、イエイヌは飼い慣らされすぎている。オオカミの血を引くイエイヌは、キュルルを飼い主、つまり自分が守る価値のある人間だとは認めなかった。キュルルがはじめて出会ったフレンズはカラカルで、彼女はセルリアンから逃げるために(人間の女の子のように)彼の手をとった。かばんとの別れでサーバルは、彼女のことを思い出してはいないにもかかわらず、「約束だよ」とウソをつき、涙を流した。およそフレンズらしくはない。

この作品における人間とは「仲間を覚えている」ことと「ウソをつく」ことだった。前作と比べてみるといいだろう。英語のrememberの語源はラテン語rememorariで仲間memberとは関係ないが、nowhereをnow hereと読み替えるように、この作品は偶然に必然を見出し、再びre仲間memberにすること、必然re化する偶然のmemoryを描いている。

サーバルはなぜ、かばんともう会えないことを知っているのか?サーバルに会うつもりがないというのでなければ(あまり積極的な理由はない)、かばんに理由があるはずだ。つまり、かばんはもうじき死に、サーバルはそのことを知っているのだ。