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世界一ただしいラカン:『精神分析における話と言語活動の機能と領野 』

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ジャック・ラカンっちは用語を陽に定義せず、また読者だましを駆使しているので、流通している理解はすべて間違いだワン。犬っちが解読して書いていくワン。

この記事では精神分析における話と言語活動の機能と領野 をやるワン。

🐾🐾🐾

ネットで拾ったおフランス語原文

- 180 - le langage humain constituerait donc une communication où l'émetteur reçoit du récepteur son propre message sous une forme inversée (...) à savoir que la parole inclut toujours subjectivement sa réponse, que le "Tu ne me chercherais pas si tu ne m'avais trouvé" ne fait qu'homologuer cette vérité, et que c'est la raison pourquoi dans le refus paranoïaque de la reconnaissance, c'est sous la forme d'une verbalisation négative que l'inavouable sentiment vient à surgir dans l'"interprétation" persécutive. - Finalement c'est à l'intersubjectivité du "nous" qu'il assume, que se mesure en un langage sa valeur de parole. - 181 - Car la fonction du langage n'y est pas d'informer, mais d'évoquer. Ce que je recherche dans la parole, c'est la réponse de l'Autre. Ce qui me constitue comme sujet, c'est ma question. Pour me faire reconnaître de l'Autre, je ne profère ce qui fut qu'en vue de ce qui sera. Pour le trouver, je l'appelle d'un nom qu'il doit assumer ou refuser pour me répondre. / Je m'identifie dans le langage, mais seulement à m'y perdre comme un objet. Ce qui se réalise dans mon histoire, n'est pas le passé défini de ce qui fut puisqu'il n'est plus, ni même le parfait de ce qui a été dans ce que je suis, mais le futur antérieur de ce qu'aurais été pour ce que je suis en train de devenir. - 182 - Si je presse sur un bouton électrique et que la lumière se fasse, il n'y a de réponse que pour mon désir. - Mais si j'appelle celui à qui je parle, par le nom quel qu'il soit que je lui donne, je lui intime la fonction subjective qu'il reprendra pour me répondre, même si c'est pour la répudier. / Dès lors apparaît la fonction décisive de ma propre réponse et qui n'est pas comme on le dit d'être reçue par le sujet comme approbation ou rejet de son discours, mais vraiment de le reconnaître ou de l'abolir comme sujet. Telle est la responsabilité de l'analyste chaque fois qu'il intervient par la parole. - la question de l'exactitude [de l'interprétation] passe au second plan. - 183 - La parole en effet est don de langage, et le langage n'est pas immatériel. Il est corps subtil, mais il est corps. Les mots sont pris dans toutes les images corporelles qui captivent le sujet ; ils peuvent engrosser l'hystérique [etc.]

※講演録だから区別できないが、文脈からはl'autreは二か所ともl'Autre

2015年の新宮一成っち訳

その逆説を、その人は次のように定式化した。ということなら、人間の言語活動は、発信者が受信者から、発信者自身のメッセージを裏返しした形で受け取るような、一つの相互伝達だと言ってもいいことになるではないか、と。この定式は、そこに我々が我々自身の思考の刻印を再認して、反対者の口から取り戻せばいいものだった。我々自身の思考というのはこいうであった。すなわち、話は常に主体にとって話への答えを包含しているということ、また、「おまえが私を見いださなかったならば、おまえは私をたずねなかったであろう」という言葉はまさにこの真理を認証してくれているということ、さらに、パラノイア的な承認拒否においては、人には言えない感情が、迫害されているという「解釈」の中に、否定的言語化という形で浮上してくる理由もまたここにあるということである。(p,98)

(略)

結局、何らかの言語活動を取り上げてみると、話としてのその価値は、その言語活動が引き受けている「我々」と呼ばれるような間主体性によって測られる。(p.99)

(略)

というのも、言語活動の機能は、話においては、知らせることではなくて、むしろ喚起することであるのだから。

私が話のうちに探すもの、それは、他者の答えである。私を主体として構成するもの、それは私の問いである。他者によって承認してもらうために、私は、ただただ、在るだろうところのものを見越しつつ、在ったところのものを口にする。他者を見出すために、私は彼を、私に答えるに当たって、彼が引き受けるか拒むかせざるをえないような名前で呼ぶ。

私は言語活動の中で私を同定するが、それはそこで、対象として見失われることによってでしかない。私の歴史の中で実現する事柄は、それがもはや在りはしないから過去のものだという意味での定過去ではなく、さらには、私が今在る事の中に引き継がれているかつて在った事という意味での完了態でもなく、むしろ、私が今成りつつある事との関係から見て、私が将来どのようなものに成っているかという意味での、前未来なのである。

私が他者に問いかけるために他者の面前に今自分をおいているのだとすれば、どんなサイバネティックス装置であれ、想像できる限り立派な装置であったところで、それが返してくる反応(レアクシオン)は、答え(レポンス)と呼べるものではありえない。答え(レポンス)とは刺激-反応(レポンス)回路の第二項であると定義してみても※訳注32、その定義は単に、動物に主体性があるという押しつけによって支えられた隠喩にすぎないのであって、この隠喩は、押しつけたはずの主体性をたちまち消し去って、物理的図式の中に埋没させているのである。こういう成り行きは、我々が、兎を帽子に入れてまた出す手口と呼んだものである。どうしたって、反応(レアクシオン)は答え(レポンス)ではない。

私が電気のボタンを押して光がつくとき、それはまさに、私の欲望に対する答え(レスポンス)である。もし、同じ結果を得るために、どのように配されているのかがわからない連結システムの全体を試してみなければならないとしても、私が待っているのでなければ、そもそも問いそのものがない。そして私が確かな手つきでこのシステムを操作するための充分な知識を手に入れることになったときには、もはや、問いはなくなっている。

けれども、私が自分の話しかける相手を、何であれ私がその相手に与えている名で呼ぶときには、私は彼に、主体の機能を言渡(ことわた)したのであり、たとえその機能を拒否するためにであれ、私に答えるために彼はそれを身につけなければならない

そのときに、私自身の答え(レスポンス)の決定的な機能が現れる。この機能は、単に、主体の語らいに対してのいわゆる諾否として主体によって受け取られるということではなくて、真に、主体を主体として承認するか廃棄するかということなのである。分析家は、話を以て介入するたびに、このような*答える責任(レスポンシビリティ)*を果たすことになる。(新宮訳、p.100-101)

共通しない部分は灰色にしたワン。

犬っちはおフランス語ができないので、グーグルっち機械翻訳で英語にしてちょこっとだけ修正したワン。

- 180 - human language would therefore constitute a communication where the sender receives from the receiver his own message in an inverted form (...) namely that speech always subjectively includes its response, that the "You would not look for me if you had not found me" only confirms this truth, and that is the reason why in the paranoid refusal of recognition, it is in the form of negative verbalization that the shameful sentiment arises in the persecuting "interpretation". - Finally, it is through the intersubjectivity of the "we" that he assumes that his speech value is measured in a language. - 181 - For the function of language is not to inform, but to evoke. What I look for in speech is the response of the Other. What constitutes me as a subject is my question. To make myself recognized by the Other, I only utter what was in view of what will be. To find him, I call him with a name that he must assume or refuse to answer me. / I identify with language, but only to lose myself in it like an object. What is realized in my history is not the definite past of what was since it is no longer, nor even the perfect of what was in what I am, but the prior future of what would have been for what I am becoming. - 182 - If I press an electric button and the light comes on, there is only an answer for my desire. - But if I call the one I am speaking to, by whatever name I give him, I will give him the subjective function that he will take up to answer me, even if it is to repudiate him. / From then on appears the decisive function of my own response, which is not, as we say, of being received by the subject as approval or rejection of his speech, but really of recognizing or abolishing it as a subject. This is the analyst's responsibility whenever he intervenes by speaking. - the question of the correctness [of the interpretation] takes a back seat. - 183 - Speech is in fact the gift of language, and language is not immaterial. He is a subtle body, but he is a body. The words are caught in all the body images that captivate the subject; they can impregnate the hysteric [etc.] (グーグルっちの機械翻訳)

ミーはおフランス語ができないので重訳ニャン。機械翻訳はどれもブレがあるけどほとんどおなじニャン。

🐾🐾🐾

対訳しながら解説するワン。

human language would therefore constitute a communication

人間のことばはこうしてコミュニケーションを作る。

languageは「言語活動」が定訳だが、それではビビッドな感じがでないので「ことば」にしたワン。

where the sender receives from the receiver his own message in an inverted form (...)

そこでは発信者は彼自身のメッセージを、反転した形で受信者から受け取る。どんな形かといえば、(...)

そのままだワン。

namely that speech always subjectively includes its response,

とくに、受け手はつねに主体であり、発話にその反応を含める。

一見と違い、つぎのthat節はresponseにかからないワン。 ラカンの読者だましだワン。人は名前で分節されて主体になるワン。

that the "You would not look for me if you had not found me" only confirms this truth,

「わたしを見つけていないのに、わたしをほしがらないで」だけでこの真実が確認できる。

パスカル『パンセ』が元ネタらしいワン。look forは「反応responseをほしがる」、findは「(分節するために)見つける」だワン。

and that is the reason why in the paranoid refusal of recognition, it is in the form of negative verbalization that the shameful sentiment arises in the persecuting "interpretation".

偏執病者が認識を拒否するとき、彼を苦しめる「解釈」に起きる、恥ずかしい感情が、ネガティブなことばで表現されるのが、この理由である。といった形だ。

二つ目のthatはit~that構文だワン。読者だましだワン。

Finally, it is through the intersubjectivity of the "we" that he assumes that his speech value is measured in a language. 

最後に、「それ」は、彼の発話の価がことばで測られると彼が仮定した、"わたしたち"の間主観性を通る。

読者だましだワン。何通りにも解釈できるが、とりあえずitは「それ」分節前の自分だとするのがスジが通るワン。間主観性を生み出すのは象徴界のはたらきだワン。

For the function of language is not to inform, but to evoke. What I look for in speech is the response of the Other.

ことばのはたらきは伝えることではなく引き起こすことだ。だからわたしが発話で見出そうとしているのは<相手>の反応なのだ。

犬っちはthe Otherを<相手>と訳すワン。 名前による分節前の相手だワン。

What constitutes me as a subject is my question.

わたしをある主体として構成するのは、わたしの問いなのだ。

a subjectは分節されたわたしだワン。相手の脳内にあるワン。the otherと等しいワン。

To make myself recognized by the Other, I only utter what was in view of what will be.

<相手>にわたし自身を認識してもらうには、この先に書いてあるものを言うだけでいい。

myselfは分節前のわたし、recognizeは分節するだワン。what was in view of what will beは「この先に書いてあるもの」だワン。読者だましだワン。泣けてくるワン。

To find him, I call him with a name that he must assume or refuse to answer me.

彼を見つけるために、わたしは彼を名前で呼ぶ。彼はその名前を引き受けるか拒否するかして、わたしに答えざるをえない。

「この先に書いてあるもの」とは名前のことだったワン。ここには出てこないがphallusのことだワン。 

I identify with language, but only to lose myself in it like an object.

わたしはことばと一体となる。そのことばではわたし自身を失ない、ただの対象になってしまうが。

identify withは「~と同一視する」だワン。読者だましだワン。an objectは分節された自分の客体だワン。

What is realized in my history is not the definite past of what was since it is no longer,

わたしの物語に生じるのは、過ぎ去った昔のことでも、

時制はなんの関係もないワン。 読者だましだワン。

nor even the perfect of what was in what I am,

わたしに起きたすべてのことでもなく、

ここもthe perfect完全なものだワン。

but the prior future of what would have been for what I am becoming.

わたしがかつてかくあるべしと思った姿だ。

自分が思い描いた、数秒なりもっとなり先の、自分の姿のことだワン。思い描いたのが過去のできごとになったから、the prior futureだワン。

If I press an electric button and the light comes on, there is only an answer for my desire.

わたしが電気のスイッチを入れ、明かりが灯れば、わたしの欲望への答えはそれで終わりだ。

これは電灯とはかぎらず、HITACHIかもしれないワン。さて、desireが出てきたので、このさきもその話だワン。

But if I call the one I am speaking to, by whatever name I give him, I will give him the subjective function that he will take up to answer me, even if it is to repudiate him.

しかし、わたしがいま話している相手を、なんであれ名前を与えて呼べば、彼に主体のはたらきを与えたことになる。そのはたらきにより、彼はわたしに答えることができるようになる。たとえ彼を拒絶するために呼んでもだ。

これはdesireの話だワン。

From then on appears the decisive function of my own response,

それ以降、わたし自身の反応に、なにごとかを決めるはたらきが生まれる。

decisiveはよく見るワン。

which is not, as we say, of being received by the subject as approval or rejection of his speech,

そのはたらきは、言うなれば、相手の主体に受け取らせ、彼の発話をわたしが承認したか、あるいは拒絶したかを、知らせるものではない。

the subjectは分節された相手だワン。Sだワン。こちらのはたらきはsubjectiveだワン。

but really of recognizing or abolishing it as a subject.

そうではなく、彼がわたし自身を認識して主体とするか、まるごと捨ててしまうかを決めてしまう。

相手が自分を分節するかどうかを決める、ということワン。こちらは相手の意志ではどうにもならず、わたし自身の反応がdecisiveだといっているワン。これはdesireの話なのだから、わたしの欲望は相手に分節してもらうことだワン。ここでは自分の名前the phallusは相手はすでに知っているワン。

相手の名前を呼ぶと、相手は特別な状態になって、(すでに名前を知っている)わたしを分節するか拒否するかせざるをえない、そういう話だワン。

This is the analyst's responsibility whenever he intervenes by speaking. - the question of the correctness [of the interpretation] takes a back seat.

これが分析家が話すことで介入するときには、つねに負うべき反応の責任であり、[解釈の]正しさを問うのは二の次のことだ。

分析家の責任は、患者をその特別な状態にする、つまり自分を分節するよううながすことだワン。

🐾🐾🐾

ラカンの考えはかようにシンプルで常識的だワン。ことばの定義をしないことと、読者だましのせいで、みんな何十年も振り回されているワン。

ここに出てきただけでも、以下のことばは本当はきちんと定義されているワン。

  • look for
  • find
  • the Other
  • it
  • myself
  • recognize
  • the subject
  • a subject
  • an object
  • decisive
  • desire

これらすべてが名前による分節に関係するワン。

 

このレベルの読者だましを見抜ける人は世界にもきわめてすくなく、彼らは小説や映画に忙しくて、そもそも精神分析は嫌いだろうし、ラカンのテクストなんて読もうともしないだろう。しかし、ラカンのテクストは「読者だまし」としてたいへんみごとなものだから、「ラカンのテクストは読者だましである」ということは疑いようがない。ひいては世界中のラカン理解がすべてデタラメであることも疑いようがない。