内容が古く、正確さに欠いております。
※テレビシリーズのDVDは杏子のシャッターが劇場版のものに差し替えられており、意味不明なものになっていなす。ここにある画像はdアニメストアからです。
テレビシリーズから何もかもが変えられた劇場版まどかマギカだが、佐倉杏子は
- 暁美ほむらと相思相愛に
変わった。杏子が登場する場面は大半がそのまま、あるいは微修正だが、文脈が大きく変えられているため解釈がまったく違ってくる。最大の変更はさやかの魔女戦で、とくに以下の場面AとBだが、その前の、杏子とキュゥべえのホテルの部屋での会話、場面Xで重大な文脈の変更が行われた。
テレビシリーズでは「誰が他人の手助けなんか借りるもんか」と言っていたが、劇場版では「他人」が「てめえ」に変更されている。劇場版でほむらの手を借りないのは意地っ張りが理由ではないことがわかる。
場面A さやかの魔女に一方的に攻撃される杏子
杏子「はっ、いつぞやのお返しかい?」
杏子「そういえばあたしたち、最初は殺し合う仲だったっけね」
杏子「生ぬるいって」
杏子「あのとき、あたしがもっとぶちのめしても、あんたは立ち上がってきたじゃんかよ」
テレビシリーズでは孤独なさやかを杏子が慈しむが、彼女が(魔女化して)消えてしまったことをイメージさせる。劇場版は杏子とさやかの場面のプレイバックであり、解釈は自由になった。 作品全体にわたり、テレビシリーズでは杏子がさやかの王子様であるという文脈が成立するが、劇場版の文脈はそれ以外のものになる。
杏子「怒ってんだろ、何もかも許せないんだろ」
杏子「わかるよ」
杏子「それで気が済んだら、目ぇ覚ましなよ」
さやかと出会った頃、友だちもおらず、自分ばかりがひどい目にあっていた杏子の14の夜の心境でもある。
場面B 杏子とほむらの最後の会話
セリフはテレビシリーズと劇場版で変わらないが、カットの追加と変更で杏子の一番大切な人はさやかではなくほむらであることが明らかにされている。杏子のシャッターが心情表現に大きな役割を果たしている。
まずテレビシリーズから。
モンキーダンスを踊るさやかの魔女に向かう杏子。
杏子はほむらに向き直り、シャッターを一瞬で降ろしてからセリフに入る。画面奥から魔女、杏子、シャッター、ほむら(とまどか)であり、魔女と杏子、ほむらとまどかが同じ側におり、杏子とほむらが隔てられている。したがって「足手まとい」は手負いの杏子のことだと見て取れる。
シャッター越しの会話。杏子、やや拗ねた感じで左を向く。淋しそうな印象で、本当は「それが正解ではないといいのに」と言いたげ。
杏子のセリフの前にほむらがうつむき、うなだれて聞いている。ほむらも「それが正解ではない」と思っている。
TS.B3と同じく、杏子は今度は右を向いて話している。顔の向きを変えるとき、すなわちTS.B3ではほむらの顔を見ており、彼女たちは目を反らしあっているいることが見て取れる。こちらも淋しそうな感じで、「~そうしてきたはずだったのに(、できなかった)」と言いたげ。杏子がさやかを守れなかったこと。
次は劇場版。
テレビシリーズTS.B1に比べて劇場版では杏子が小さく、さやかとの距離が感じられる 。
劇場版の追加カット。杏子の視線が下に寄っており、彼女はまどかを一瞥している。劇場版では「足手まとい」はまどかのこと。
劇場版では杏子とほむらは向き合って話しているから、「それが正解さ」はそのままの意味で、「ほむらは足手まといのまどかを連れて逃げるのが正解」という合意がある。
杏子が魔女に向き直り、シャッターを降ろし始める。
画面手前から、(魔女、杏子)、シャッター、ほむらとまどか。
劇場版の追加カット。ここでは杏子の口元を映し、かつ目を隠しているが、ほむらに背を向けているのに頬は真っ赤。セリフを言い終わったタイミングでシャッターが降り切る。
テレビシリーズTS.B3と違い、ほむらは始めは杏子の方を向いている。
うなだれた表情のテレビシリーズTS.B3と違い、まどかの顔をのぞきこむようになった。MP.B3の合意「足手まといのまどかを連れて逃げるのが正解」とMP.B7のトロ顔から、ほむらの「守りたいもの」はまどかではなく、彼女を疎ましく思っていることが推察される。
テレビシリーズTS.B4と違い、杏子はほむらのほうを向いている。MP.B6からここまでのどこかで向き直った。
劇場版では「~そうしてきたはずだったのに(、今まで気がつかなかった)」という意味。抑揚もテレビシリーズと違い、どこかうれしそう。
以下、テレビシリーズと劇場版でほぼ同じだが、劇場版では杏子が跪くカットが3つ追加されている。
杏子とほむらを隔てる巨大な壁。
シャッターは大きいだけでなく、劇場版は密度も高い。さやかと出会ったときのシャッターは非常に歪な形だったが、更生したので正方格子になった。